この花を好まぬような男は...
2017/03/13
事務局近くの芝公園。
もう散ってしまいましたが、一画にはなかなかよい梅園があり、昼休みには桜ならぬ梅の花見を楽しむ人たちの姿が見られました。
やって来るのは人だけでなく、メジロやヒヨドリなどの鳥たちも同じで、こちらは花の蜜が目当て。
桜と同様、梅の木は多くが人によって育てられますが、それでも、自然の命と営みとを支えているのが分かります。
どちらかというと、自分は桜より梅の方が好きなのですが、さて梅の良さとは何であろうか?

芝公園の梅園。さまざまな種類の梅の木が見られます
香りよし、姿よし、とはいえ、その風情や素晴らしさを、何かに喩えて説明するのは、なかなか難しい。
そんな中、とある賛辞を知りました。要約するとこんな感じです。
「梅は自らが美しく、香が清いだけではない。
山でも、小川や荒海のほとりでも、崩れた土塀や、やせ畑の端でも、この花が一本、二本咲くだけで、景色が眺めるべきよいものになる。
それは、徳の高い、心清い人が、ただ居るだけで周囲を感化し、俗を易(か)えるのに似ている」

梅の花の蜜を吸いに来たメジロ。ハチと同じく、梅の受粉に一役かっています
思わず唸ってしまったこの評は、明治の文豪・幸田露伴のもので、『花のいろいろ』というエッセイ集に収められた一節。
生涯、花を愛し、造詣も深かったという、露伴らしい言葉です。
露伴らしさといえば一方で、歯に衣着せぬパンチの効いた物言いが思い浮かびますが、この梅についてのエッセイも、最後を飾る一文はかくの如きでありました。
いわく、「この花好まざらん男は奴(やっこ)とするにも堪へざらん。」

梅の好さが分からんような男はネ、つまらん、実につまらん男だよ!と。
露伴先生のお言葉を忘れることなく、真に梅を愛せる男にならねばと、襟を正した3月の昼休みでした。(広報 三間)
関連記事

以前撮った、高尾山は木下沢の梅林。ちょうど今頃の季節です