津波の被災地の「モアイ像」
2011/12/13
自然保護室の前川です。
今すすめている「暮らしと自然の復興プロジェクト」のために、宮城県南三陸町にいくと、町のあちこちでモアイ像を目にします。
イースター島のあのモアイです。なんとも奇妙な光景ですが、その謎の答えは、震災と関係がありました。
イースター島は、南米のチリ共和国領。
1960年のチリ地震津波では、三陸沿岸に最大6メートル(チリでは約18メートル)の津波が襲来し、南三陸町も大きな被害を受けました。
この震災をきっかけとして、志津川町(現在の南三陸町)はチリ共和国と交流を持つようになりました。
モアイは、地球の反対側にありながら、津波に繰り返し悩まされつづけてきた国との友好の証なのです。
イースター島のモアイの建造目的はいまだ不明ですが、集落を守るように建っていると言われています。
今回の東日本大震災では、戸倉海岸パーキングにあった2体のモアイ像も破損してしまいましたが、今後も復興のシンボルとして南三陸町を見守ってくれるのではないでしょうか。
舘下橋の欄干には次のような文が刻まれていました。
「昭和35年5月のチリ地震津波により志津川町は最大の被災地となった。津波の被災体験を風化させない為の啓蒙と同じ被災地であるチリ共和国との有効の絆としてモアイが設置されている」
南三陸町をはじめとして、被災地が一日も早く復興することを祈るばかりです。