シリーズ:クマの保護管理を考える(7)クマの冬眠の謎にせまる


日本国内で保護の、また捕獲の対象として、各地でさまざまな議論を呼んでいるツキノワグマ。国内最大級の陸上の野生動物ですが、その生態はいまだ多く謎に包まれています。クマとは、一体どのような生きものなのか。これをより詳しく知り、またその知見を広く社会に知らせることは、人とクマの共生に向けた取り組みを進める上でも、重要なカギになります。今回は動物園での研究に目を向け、東京都恩賜上野動物園のクマ飼育担当、野島大貴さんにお話をうかがいました。

クマの冬眠

世界の寒い地域に生息するクマの例にもれず、日本に生息する2種のクマ、ツキノワグマとヒグマも冬眠することが知られています。山野に食物が少なくなる冬の時期を、冬眠することで乗り越える能力を身につけた結果です。

クマの冬眠は「冬ごもり」ともいわれますが、この時のクマは、エネルギーの消費を最小限に抑えるため、体温や心拍数、呼吸数を減らすことが知られています。そして食物や水分を一切補給せず、糞や尿などの排泄物もしないといわれています。

たとえば冬眠中、尿を膀胱(ぼうこう)壁から再吸収し、タンパク源として再利用する機能が働きます。このようにして冬眠中のクマは、冬眠前に身体に溜め込んだエネルギーで、生命を維持していると考えられています。
そのため冬眠前にしっかりと食物を確保し、脂肪としてエネルギーを蓄積しておくことが大切です。

もう一つ、クマにとって、この冬の期間が重要なのは、メスが冬眠中に出産し、授乳しながら子育てをするためです。この時のメスの冬眠は、眠りが浅い状態になっているのではないかと考えられていますが、こうしたことを含め、クマの冬眠の生態については、まだ謎が多く残されています。

それこそ、クマのこもる冬眠穴に入り込んでみないと、分からないことが多くあるのです。

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モニターで冬眠中のクマを観察する
野島大貴さん。

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上野動物園生まれの仔グマとその母グマ。
2011年1月撮影

上野動物園の「冬眠チャレンジ」

そうした謎の解明に取り組んでいる場所の一つが、2012年で開園130周年を迎える、東京都恩賜上野動物園です。

この上野動物園では現在、人為的にツキノワグマを冬眠に誘導する「冬眠チャレンジ」を続けており、2011年には冬眠下での出産を成功させました。

動物園は、いろいろな動物を飼育・展示する場ですが、それと同時に、野生状態では難しい動物の調査・研究を行なっています。それこそ、冬眠中の動物の様子をつぶさに観察し、記録するなどということは、動物園の飼育技術と経験が無ければ、なかなかできるものではありません。

さて、ツキノワグマの「冬眠チャレンジ」が始まったのは、2006年のことです。

この試みでは、冬眠中のクマの生態がわかるように、さまざまな装置を設置してデータを収集。冬眠中の出産・子育ての環境を再現することで、今までわかっていなかった、クマの生態に関するさまざまな情報を入手する取り組みを、続けてきました。

野島さんが、この取り組みにかかわり始めたのは、クマ飼育担当に就任した、2010年からです。当時、上野動物園では、メス2頭にオス1頭、計3頭のツキノワグマが飼育されていました。2010年の目標は、それまでに実現させてきたクマの人為的な環境下での冬眠に加え、出産・子育てを成功させることです。

飼育している3頭は、いずれも性成熟に達したばかりの「適齢期」。前年の2009年度も、2頭のメスが1頭のオスとそれぞれ交尾をしている姿が確認されましたが、出産には至りませんでした。

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クマは交尾をする前に
レスリングのような行動をします。
まさに「愛のレスリング」ですね。

冬眠施設をそなえた「クマたちの丘」

この「冬眠チャレンジ」を可能にしているのが、上野動物園にある、クマを人為的に冬眠へと誘導する設備を備えた新しい展示施設「クマたちの丘」。2006年に開設しました。

この施設は次の3つの部屋で構成されています。

  1. 冬眠ブース
    広さ約1畳。冬眠用の部屋で、温度変化が少なく静かな環境を作るため、断熱材や防音扉を備えています。天井には、赤外線カメラ・マイクが取り付けられ、ブース内を観察することができます。映像は、ビデオレコーダーに24時間記録しており、室温と湿度も記録しています。
    また、以前は首都東京大学の協力で、クマのわずかな体の動きをマイクロ波で計測し、呼吸数を算出・記録するシステムも設置されていました。
  2. 準備室
    広さ約4畳。マイナス5℃から20℃まで室温を調整でき、赤外線カメラが取り付けられており、冬眠ブースともどもカメラの映像を通路のテレビモニターで公開し、来園者にクマの様子を見てもらえる仕組みになっています。
  3. 展示室
    広さ約9畳。クマたちが冬眠の準備をする部屋です。空気調整ができ、ここで終日過ごす期間を設けた後、冬眠状態に入ります。
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この設備を使って、2006年8月、上野動物園で「冬眠チャレンジ」が始まりました。
挑戦者は、当時2歳だったメスの一頭です。

冬眠には低温、日の長さの変化、静かな環境、体脂肪の蓄積などさまざまな要因が関係すると考えられるため、室温、湿度、照度などを徐々に調整し、クマが眠りたくなる環境を整えます。

そして、その体重、体温、呼吸数、心拍数や行動を記録してゆきました。

そして、途中、冬眠ブースからクマが出てきてしまうなどのハプニングを乗り越えながら、2006年12月18日の午後、ついに冬眠を確認しました。

翌春、89日間に及んだ冬眠は無事に終了。冬眠していたメスのクマも、元気に野外飼育場に戻りました。取り組みにあたって、スタッフのみなさんが一番気にしていたのは、クマの健康管理だっただけに、無事冬眠から目ざめたことに、全員がほっと胸をなでおろしたそうです。

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「くまたちの丘」の冬眠施設

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モニターに映し出された初めての冬眠の様子

2010年の「チャレンジ」

その後も継続された「冬眠チャレンジ」は、毎年冬眠するクマの身体の変化についてのデータを蓄積してきました。

空調で人為的に温度を下げなくても、東京の自然な温度変化で、ツキノワグマが冬眠をすることもわかりました。あくまでも今までの飼育経験の積み重ねとしながらも、野島さんは次のように話してくれました。

「クマの冬眠は他の冬眠動物と異なる点が多く、一般的には外部刺激ですぐ覚醒すると言われていますが、日頃から聞きなれている物音などには寛容になるようです。つまりある程度静かな、『クマが落ち着いて寝ることができる環境』であれば冬眠する可能性が高いのです」。

野生のクマの調査に携わっている研究者の方も、クマが「山奥の静かなところでなく、林道脇などの比較的にぎやかだろうと思われる場所でも冬眠してしまうことがある」と仰っていましたが、そうしたフィールドでの知見にも、これは通じる結果といえるかもしれません。

このような情報や体験の積み重ねのもと、2010年、「冬眠チャレンジ」は新しい段階に入りました。冬眠中の出産を成功させることです。

ツキノワグマは、「着床遅延(ちゃくしょうちえん)」という独特の繁殖生理をもっています。これは、受精卵がすぐ子宮に着床せず、交尾期よりもずいぶん後ろにずれた時期に着床し、妊娠することをいいます。

実際、ツキノワグマは、6月~9月頃に交尾しますが、受精卵はしばらくの間子宮の中を漂い、着床して妊娠が始まるのは11~12月頃。受精卵が着床するかどうかは、冬眠の前にどれだけ脂肪を蓄えられるかによって決まるとされています。

つまり、クマは夏に交尾を行ない、秋に出産・授乳するのに十分なエネルギーを蓄えられた時のみ、冬眠下で出産する仕組みをもっているのです。

野生の状態でのこうしたクマの生理が、果たして人為的な環境でも再現できるのか。それが、2010年の挑戦でした。

生まれた仔グマ

2010年、上野動物園で飼育されていた1頭のオスと2頭のメスは、7月から9月にかけて、それぞれ交尾したことが確認されました。

2頭のメスは、9月以降、食べる量と体重も順調に増え続け、いずれも15キロから20キロ近く、体重を増やしたといいます。そして、交尾回数が多く、より妊娠の可能性の高い方のメスを冬眠ブースに入れ、冬眠と出産のゆくえを見守ることにしました。

冬眠が始まったのは、2010年12月17日。クマは測定機器のある冬眠ブースで冬眠しているため、冬眠中のさまざまな生態情報を得ることができます。

一般的に、妊娠したクマは冬眠では眠りが浅くなるといわれていますが、今回の場合も、睡眠時間は例年と同じくらいでも、冬眠特有の丸まった姿勢で寝ることが少ないことが分かりました。

さらに、例年1分間で1~3回程度にまで下がる呼吸数が、平均3回までにしか下がらないことも確認されました。いずれも、眠りが浅い傾向を示すものです。

また、それまで冬眠中のクマは、全く水や食物を口にせず、また排泄(はいせつ)もしないといわれてきましたが、この冬眠中のメスは、しばしば水を飲み、隣の部屋に行って排尿(はいにょう)する行為も見せました。野島さんによれば、過去4年間の冬眠では見ることがなかった行動だといいます。

そして、2011年2月14日2頭の仔グマの出産が確認されました。ところが、出産の当日に1頭が死亡、もう1頭も15日に母乳を飲む姿が確認されたものの、その2日後に死亡してしまいました。何が原因だったのかは分かりません。しかし、この年の試みは失敗したかに思われました。

ところが、その約2週間後、驚くような展開が待っていました。妊娠の確率が低いと目され、普通の飼育部屋で冬眠していたもう1頭のメスが、仔グマを出産したのです。

こちらの部屋には、冬眠ブースのような観察設備が無く、十分な様子が分かりませんでしたが、野島さんは、わずかなのぞき穴から、中の様子を注意深くうかがい、鳴き声や授乳する音を確認。順調に成育していることを知ることができたそうです。

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左写真:はじめて冬眠部屋から出てきた仔グマの様子 2011年5月撮影
右写真:はじめて屋外放飼場に出た仔グマ、母親に甘えている 2011年6月撮影

2011年、クマの親子の挑戦

2011年4月22日、親子のクマの冬眠は終わりました。5月17日には、生後81日の仔グマも初めて冬眠部屋から出て、元気な姿を見せてくれました。

ツキノワグマは生まれたとき体重が約300グラムといわれていますが、この仔グマは、5月末の時点で、体重が4キロにまで生長していました。そして、この頃になると母乳以外に、リンゴなども少しずつ食べられるようになりました。

しかし、仔グマが親もとを離れ、独り立ちするには、1年半の時間が必要です。つまり、もう一年は、母親と共に冬を過ごさねばなりません。

そこで、2011年の「冬眠チャレンジ」が始まりました。目指すは、親子のクマの冬眠を成功させること、です。
出産時の様子もそうですが、生後1年の仔グマが、親と共にどのように冬眠中、どう過ごしているのか、これも今のところよくわかっていません。

秋からの周到な準備の末、この2011年の冬眠は、12月8日から始まりました。12月5日の時点で33キロにまで育っていた仔グマも、母グマと一緒に、冬眠ブースに入りました。

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クマの親子、2011年度の冬眠中

結果は成功。
2012年2月27日に、母グマが冬眠明けの合図である「止め糞」と呼ばれる糞を排泄し、71日間の冬眠チャレンジは終了、母子ともに元気に春を迎えました。

この結果から得られたデータは、非常に興味深いものでした。
まず冬眠期間中の1日の平均睡眠時間が、母グマが約20時間なのに対し、仔グマは約18時間で、約2時間の差があることがわかりました。また、71日間という冬眠期間も、過去のデータと較べると、2~3割少ない数字です。

そして冬眠中には、仔グマの意外な行動が観察されました。前年の夏ごろからほとんど見られなくなった授乳行動が、12月の絶食後から1日何度も確認されるようになったのです。また飲水(いんすい)、や排尿も数回観察されました。今まで観察された成獣のクマの冬眠とは、異なる点が多いと、野島さんはおっしゃいます。

動物園のクマと野生のクマ

一連の試みで得られた情報が、どれくらい野生のクマにも当てはまるのか、それは今の時点では分かりません。それでも、これまで人が目にし、知ることの無かった動物たちの世界を、こうした試みは、少しずつ、明らかにしようとしています。

上野動物園の「冬眠チャレンジ」が、クマの冬眠と出産についての謎を解き明かす一つの取り組みとして、研究者からも注目されている理由も、まさにそこにあるといえるでしょう。

こうした取り組みはまた、野生のツキノワグマの保護にも有効な情報をもたらしてくれます。冬眠や出産をする上で、どのような環境や条件が、クマにとって適しているのかが分かれば、そうした自然環境を優先的に保全し、保護を効率的に進めることが可能になるからです。

クマが冬眠することは、多くの方がご存知のことでしょう。しかし、その冬眠の生態が、実はまだよくわかっていない、ということは、なかなか知られていません。

その意味でも、この上野動物園での冬眠チャレンジと展示は、クマ本来の姿を少しでも知ってもらう、よい啓発の場になっているといえます。

特に、都会の人に対し、クマを身近に見る機会と、クマの生態について興味を持ってもらうきっかけを提供している意味は、クマの保護管理を考える上でも大事な一歩になります。

取り組みに、とてもやりがいを感じる、という野島さんは、最後にこう語ってくれました。

「動物園の社会的な役割の一つは、野生では難しい動物の調査・研究を行ない、長期間にわたるデータをしっかりと積み上げることだと思っています。さらに、そのデータを整理して公表し、社会へ還元することが重要です。この『冬眠チャレンジ』では、大学や博物館などと一緒になって共同研究を行なっていますが、今後もさまざまな関係者と協業していきたい。

近年、人間とクマとの接触による事故が問題になっていますが、人間がクマとの境界を守ることで、防げる事故もあるのではないかと思っています。そのためには、クマがどのような動物なのか?クマの生態をより多くの人に知ってもらう努力をしていきたいと思っています」

野島さんたちが活躍する動物園という場所。ここもまた、「人とクマの共生」という課題に取り組む人々が働く、最前線の現場の一つなのかもしれません。

 

 

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