シリーズ:クマの保護管理を考える(11) ヒグマとどう付き合うか?遠軽のベアドッグ


「ベアドッグ」という言葉をご存知でしょうか?英語で書くと「Bear Dog」。特定の犬の種類ではなく、人里に近づくクマの行動を抑えるために、クマ対策に特化して訓練された犬のことです。近年、サルによる山間地での農作物への被害を食い止める試みとして、サルを追い払う犬「モンキードッグ」を活用した獣害対策が全国各地で話題になっています。ベアドックは、いわばモンキードッグのクマ版と言ったところでしょう。一方、ベアドッグの事例は、全国でも数えるほどしかありません。北海道遠軽(えんがる)町で、このベアドッグを活用したヒグマのコントロールに取り組んでいる事例をご紹介します。

ヒグマの行動をどう抑えるか

遠軽町丸瀬布(まるせっぷ:旧丸瀬布町)、旭川市と北見市の中間に位置し、道東、オホーツクの街として知られるこの地は、大雪山北部の山塊に農地や人里が深く入り込む北海道内で典型的に見られる中山間地域の風景が広がります。

「丸瀬布森林公園いこいの森」は、そのような山中にあり、キャンプ場をはじめ、併設されるパークゴルフ、温泉、昆虫生態館には、年間に延べ12万人もの人が訪れる道内屈指の人気のアウトドアレジャー施設です。

「この施設を中心とした半径5㎞を調査エリアに選定し、2005年からヒグマの調査を開始しました」。
ベアドッグハンドラーの岩井基樹さんが、周辺の地図を広げながら説明してくれました。

「地図上のピンク色の点がヒグマの痕跡の確認された認知ポイントです(下図を参照)。「いこいの森」周辺には飼料用のトウモロコシであるデントコーンの農地が広がり、ヒグマがこのデントコーンを食べるために山から降りてきます。農地に合理的な防備がなければ、ヒグマが降りてくること自体は到底止められません。

そして、ヒグマが山から農地まで移動するときには、主に「A」と「B」、2つのルートを使っていることがわかりました。もし、現在の移動ルートを全部止めようとすれば、最も通って欲しくない危険な場所に突発的に出没する可能性も考えられます。
「そこで、まず人身被害防止を優先に考え、移動の途中に「いこいの森」に進入する個体、また観光客が遭遇しているのはルートAであるため、まずはこのルートを断ち切り、「いこいの森」から100m以内にヒグマを近づけないことを目標にしました」。

「いこいの森」周辺のアウトドアエリアにおけるヒグマの出没認知地点と
よく使われる移動ルート。 資料提供:岩井基樹

人間と野生のクマとの共生を図る方法の一つに「追い払い」があります。人間の生活圏内に進入したクマを「積極的に追い払う」ことで、クマに対してヒトや人里に警戒心を持たせ、人間の生活圏に「近寄らない」、あるいは不用意にヒトに接近したとき「速やかに遠ざかる」学習をさせようとする手法です。

こうした「教育」にはいくつかの方法論があるようですが、いずれもヒトがクマへの積極的な威圧・威嚇(いかく)行動をとることで、人間社会とのトラブルを軽減させる取り組みです。

「2008年、このフィールドで追い払いを始めた当初は、アラスカ時代にも何度か使ったことのある轟音玉(ごうおんだま;すさままじい爆発音がする)とベアスプレー(トウガラシ由来の成分カプサイシンを吹き付ける)を使って追い払いを行っていましたが、ヒグマと出会う場所によっては追い払いに向かないことがわかり、ベアドッグを導入することにしました」。

こうした経緯の背景には、現在に至る岩井さんの経歴が関係していました。

道端のアリを食べにくるヒグマ。

石灰を撒いた後、ヒグマが残した足跡。 ベアドッグ、ただ今追跡中。

「いこいの森」キャンプ場

公園内を流れる武利川(むりがわ)

ヒグマに噛まれて潰された空き缶

ベアスプレー

アラスカの地で学んだこと

シティボーイとして東京の世田谷区で青春時代を過ごしたという岩井さんは、物理学者を目指していた北海道大学在学中に、友人と共に訪れたアラスカの原野に魅せられ、その後、アラスカに移住。

ガイドなどをする一方、アラスカの原野での狩猟生活などを通じ、厳しい自然環境の中で生きていく術を修得していったそうです。

冬にはマイナス50度を下回るアラスカの地。
アラスカでの厳冬期を避けようと、日本での越冬地を北海道に探し求め、北大雪山塊に拠点を定めて間もない2004年、転機が訪れました。

人口2000人、農家10軒というごく小さなエリア=丸瀬布町(現在は遠軽町丸瀬布)で11頭のヒグマが捕獲されるという「大量捕獲」ともいえる事態を目撃。

クマに対して、何の防備も工夫も施されない農地に被害を与える個体を有害捕獲し、捕殺する様子は、アラスカやカナダで活動してきた岩井さんの理解をはるかに超え、箱罠で捕えられたヒグマが処分されるその光景は到底考えられない暴挙に見えたといいます。

この捕殺を機に岩井さんはアラスカの地を引き払い、丸瀬布を拠点に周辺地域のヒグマの調査に本腰を入れることにしました。

ヒグマを専門に研究をしていたわけではありませんでしたが、アラスカでの環境は、ヒグマに対して無神経ではいられません。日々の生活を送る上で、ヒグマから身を守るために磨いてきた各種のスキルは、ここ丸瀬布でも有効でした。

「2006年からの調査や追い払いなどで私自身がヒグマに遭遇している回数は、延べ100回を超えているでしょう。毎年、5月からの半年で延べ15回前後は遭遇しますし、同じ個体をカウントせずに、個体別の数だけカウントしてもその1/3にはなります。それでも怪我することなく追い払いを行っていられるのです」

ヒグマは一般的に思われているほど危険な動物ではなく、遭遇したらおしまいという動物でもない。習性や生態を正しく知り、情報を開示して普及していく。これらをきっちりとやっていれば、ヒグマの危険性はごくごく小さいものにできると岩井さんは訴えます。

無防備なデントコーン畑に入りこむ。

懸命の努力にもかかわらず、追い払いきれなかった若グマ。

2007年の網走管内市町村のヒグマ捕獲数
遠軽町での捕獲が飛びぬけて多い
資料提供:岩井基樹(北海道庁資料より作成)
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意外と知られていないヒグマの習性

では、ヒグマに見られる習性とは一体どのようなものなのでしょうか。

「ヒグマというのは学習し成長する生きものです。この成長というのは端的に言えば「孤立性」と「警戒心」を獲得してゆくことと言えるでしょう。とくにオスはこの傾向が顕著で、この警戒心こそがヒグマの最大の特性といえます。しっかりと学習を積んだ成獣のヒグマは深い山の中で暮らすようになります。」

実際、「いこいの森」周辺にあらわれるクマの足跡の大きさなどから、クマの年齢を推測している岩井さんは、その多くが仔グマ連れの母親グマか、成長過程にある若グマであることを確認しています。

また、孤立性が低く、警戒心が薄い成長過程の仔グマや若グマには、若グマならではの好奇心による「ヒトへの接近」、「じゃれつき」行動が見られることがあるそうです。

2011年の8月までの北海道におけるヒグマ捕獲の年齢別グラフ 5歳以下の若グマの捕獲数が全体の約35%を占める
資料提供:岩井基樹(北海道庁資料より作成)

5歳以下の若グマは、経験も学習も乏しく、警戒心が希薄です。ヒグマが生来持つ「好奇心旺盛」という性格に、さらに若グマの「無知」「無邪気」が加わることで、非常に無防備で不注意な行動をとって、ヒトとトラブルを起こす場合があるそうです。実際、2011年の8月までに北海道で捕獲されたヒグマの内、5歳以下の若グマの割合は約35%にもなります。

仔グマは生後約1年半を母グマと一緒に生活します。その間に仔グマは母グマから生きていくために必要なさまざまな知恵や方法を学習していると考えられています。さらに、親子は森林内で単独生活をしているため、母グマの性質や行動パターンは、仔グマに強い影響を与えるとも考えられています。

人里周りに増えている問題の若い母グマは、母親でありながら経験不足な若グマのため、そのような母親が育てる仔グマは、さらに無警戒になりがちだという悪循環が生じてしまいます。

ヒグマの社会性とヒトへの危害

前述のように若グマ・メスグマが人里周りに多く、成獣のオスグマは山の中で暮らしているのが、丸瀬布での一般的な生息状況です。一方、年間を通してこのような状況が保たれているわけではなく、「繁殖」あるいは「人為的な誘引物(農作物)」が引き金となり、その状況に変化が生じる時期があります。

6月~7月の交尾期になると、それまで奥山に居たオスは、山を降りてきて、人里周辺のメスが生息しているエリアを徘徊してパートナーを探します。このエリアは、クマの侵入に対して無防備な小麦畑やデントコーン畑があるので、繁殖のために奥山から降りてきたオスも、次第に人里の農作物に依存するようになり、それが習慣となる年周期を作ることになりがちです。

その結果、6月の交尾期から10月のデントコーンの収穫期まで、通常の若グマ・メスグマに加え、繁殖行為および農作物を目的としたオスが奥山から遠征してくるので、人里およびその周辺はヒグマの高密度地帯になります。

それでも、正常な普通のヒグマが人間を見つけて襲うようなことはごく稀なケースで、ヒグマとの事故の多くが、ヒトとバッタリと遭遇したときに切迫したヒグマが、突発的にヒトに危害を加えるケースがほとんどだそうです。

「無知で無邪気な若グマが、ヒトへの好奇心に衝き動かされて、接近やじゃれつき行動を起こす。ヒトはそれを「襲われた」として大騒ぎをする。これが、「クマに襲われた」という事例の真相であることが意外と多くあります。ヒグマのじゃれつき行動は、若グマ特有の行動であり、仔犬の「甘噛み」「飛び付き」と同じレベルのスキンシップなのです」。

ヒトと遊びたいと思うクマと、クマに襲われたと思うヒト。
双方の思い違いから起こる接触事故を回避し、クマがヒトとバッタリ出会っても攻撃的にならずに、クマの方から逃げる癖を学習させることを、岩井さんは追い払いという手法を使って実践しているのです。

農地から追い払らわれ、山へと退散中。

木陰からにらみを利かせる。

ところが、せっかく逃げ癖が身に付いたにもかかわらず、特に人里で人為的な食物を食べることを学習し、それに執着しながら徐々に警戒心を希薄にして、通常のヒグマとは異なる、まさしく「異常」なまでの行動をとるようになる個体も存在するそうです。

そこで岩井さんは、「いこいの森」周辺に出没するクマについて、一頭一頭の身体的特徴だけでなく、性格や行動パターンを細かくプロファイリング。個体別の性格に応じた対応で追い払いを行なっています。

ヒグマの行動を「コントロール」する

ところで、実際のところ野生のヒグマに人間を忌避(きひ)するよう学習させることは、可能なのでしょうか? この「問い」について岩井さんは自信を持って「はい」と答えます。

「野生動物の行動をコントロールする場合には、その動物が持つ「得意技」を封じる方向と、活かす方向の二つがあります。ヒグマの知能はイヌと霊長類の間とされていますが、ヒグマの行動をコントロールするのであれば、知能・記憶力・類推能力・学習能力の高さを利用する、つまり得意技を活かす方向が適していると言えるでしょう。

実際、クマは「学習し成長(変化)する生きもの」と言えます。冬眠穴で生まれ、生後1年半前後で親離れを果たし、その後2~3年で多くのことを学習していくのです。

さらに、ヒグマには常習性があり、一度覚えたことをずっと繰り返すという行動があることが知られています。一度学習させることで、効果の持続も期待できます」。

ヒグマの生まれ持つ優れた学習能力を利用し、「人間は怖い存在」として覚えさせてしまえば、ヒグマはヒトの気配を感じただけで自らヒトに対して忌避行動をとり、人間との接触や、街や里に下りるような行動も減少へと向かう。これが、「いこいの森」における具体的な取り組みのカギにもなっています。

岩井さんは、「いこいの森」へのヒグマの侵入を防ぐこと、を第一の課題として実践してこられました。具体的にはどのようなことをしているのでしょうか。

閉鎖された町道と、ここが「ヒグマ生息地」であることを知らせる看板

「まずはヒグマの移動ルートのコントロールを課題としましたが、それだけではこのエリア全体でのキャンパーや、観光客とヒグマがバッタリと遭遇する可能性は残ります。そこで、このエリア一帯に棲むヒグマの性質を、一定レベル以上に改善することが必要だと判断しました。具体的には、Aルートを断ち切るのと同時に、ヒトを見たらクマの方から人を避けるよう「逃げ癖」をつけることを目標としました」。

岩井さんは「いこいの森」のすぐ横を流れる武利川(むりがわ)沿いの町道を町の協力を得て500mほど閉鎖し、この町道を中心に、ヒグマにいろいろなストレスを加えてヒグマの動きをコントロールする取り組みを行ないました。

この時に活用したのが轟音玉とベアスプレーで、その後ベアドッグを導入することで更に成果を上げていきます。

ベアドッグの働き

岩井さんがベアドッグを導入したのは2009年。現在、2頭の狼犬(おおかみけん:オオカミとイヌの交雑犬)が実践活躍中です。

ベアドッグは、人里内に侵入しているヒグマや、人里外でも警戒心が薄く、ヒトに接近するような若グマに対して追い払いを行うのが大きな仕事です。

また、ベアドッグにとって追い払いとともに重要な仕事が、ヒグマの調査やパトロール時におけるヒグマ感知センサーとしての働きです。

デントコーン畑でのクマの食害被害が顕著になるのは、8~9月。この時期には、「いこいの森」の周辺でも、ヤブが鬱蒼(うっそう)とし、ヒトではヒグマを感知するタイミングが遅れがちになるそうです。

しかし、ベアドッグを連れるようになってからは、ベアドッグがいち早くヒグマの存在を感知。このときになって初めて、予想以上にヒトが感知できない「潜むヒグマ」が多いことがわかりました。ヒグマと不用意に至近距離で遭遇するアクシデントもなくなったといいます。

「いこいの森」がオープンしている期間(4月下旬~10月下旬)、岩井さんはベアドッグを連れて朝昼夕と夜の4回、パトロールを行ないます。

実際にベアドッグとともにパトロールに同行すると、一見何もないところでイヌが反応する場面に何度も出くわし、よく見ると、木の刺にクマの毛が引っかかっているなど、どんな小さなクマの痕跡にも反応していることがわかります。

また、パトロール中はベアドッグによるマーキングも終始行なわれます。
クマを遠ざけるグッズとして、オオカミの尿を利用したものが商品化されており、「いこいの森」周辺にも設置されていますが、自動撮影カメラの映像からも、狼犬のマーキングによる臭いがヒグマの活動を遠ざけるのにプラスに働いているようだと、岩井さんは考えます。

こうした高い能力が認められるベアドッグですが、任務の難易度もまた極めて高いものがあります。

「ベアドッグは猟犬と違って不特定多数のヒトが活動する人里や、その周辺でヒグマを相手にするので、ミスが許されません。例えば、追い払いをかけて、ヒグマが「いこいの森」の方に逃げてしまったら大変なことになります。また、人間や他の犬に対しての社会性を幼少の頃からしっかり育む必要もあり、単に攻撃的な犬というだけでは優秀なベアドッグとは言えません。TPO(時と場所、場合に応じた態度の使い分け)をわきまえ、ヒグマに対峙したときだけその威嚇力を発揮する、それが優秀なベアドッグだと思います」。

岩井さんの「パートナー」であるベアドック。上がオスの「魁(カイ)」、下がメスの「凛(リン)」。

じゃれ合って遊ぶ姿も狼犬だけに迫力満点。左の白い毛並はベアドック見習い中の「ノース(♂)」。

「駆除」から「教育」へ!追い払いの効果

ベアドッグハンドラーの岩井さんが現在手掛けている一連の取り組みは、「箱罠によるヒグマの無分別な駆除」というこれまでの対応から、「ヒグマを知って、合理的な安全対策をとる」という、新しいヒグマ対策の挑戦でもあります。

「いこいの森」を中心に、岩井さんがヒグマのコントロールに取り組み始めてから2013年で6年目を迎えました。

施設の南に隣接した閉鎖道には、釣り人やサイクリング客など、レジャーで訪れた観光客が毎日のように入り込んでいますが、「若グマへの忌避教育」という取り組みが効いているのでしょう、ヒグマの目撃や遭遇例は予測通りの地点で起きているものの、事故はもちろんのこと、ヒグマによって危険な目に遇った人は一人も存在しないそうです。

この結果について岩井さんは、「最低限のベアカントリー(野生のクマが棲息する地域)のスキルを実践していることで、「ヒグマが近距離に存在すること=危険」ではないということが立証できると考えています。

今後もヒグマ側への忌避教育を続けつつ、ここを訪れるすべてのヒトに、ヒグマの生息状況の情報開示と、正しいベアカントリーのスキルの普及をすすめていくことが必要だと感じています」と、手応えを感じているようでした。

丸瀬布における岩井さんの取り組みは、これまで慣例的に行なわれてきた「駆除一本槍の対応からの脱却」という意味でも成功していると言えるでしょう。

ところが、岩井さんの心の中では、ここまでの成功を100%喜べない小さな心のズレが生まれつつあるといいます。

「これまでは、とにかく早急な被害防止という要望に対して応えたものでしたが、私自身の体験からも思うのは、都会や街にはない自然を求めて訪れる観光客に、ぜひ一目野生のヒグマの姿を見てもらいたいという思いがあります」。

岩井さん、2頭のベアドックと一緒にパトロール中!

誰でも気軽にヒグマを見られる環境は作れないけど、世界で最も自然な形で、ヒグマと遭遇することができる場、ヒグマを感じ取る場を提供できる。

「かたっぱしから殺す」も「かたっぱしから忌避教育を施す」もなく、オオブキを無心に食べている野生のヒグマの姿を、一定の距離からゆっくり見られるようになる場所を目指してゆきたい。
その可能性が北海道の大雪山北部にはあると岩井さんは言います。

「熊出没! 注意&ご期待!」

そんな看板を掲げられる日が来るのも、そう遠いことではないのかもしれません。

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