シリーズ:クマの保護管理を考える(14)アイヌの人々の見たヒグマ


北海道の先住民族「アイヌ」。アイヌの人々は古くから、動植物や事象など、自然界のさまざまなものにカムイ(神)の存在を見い出し、敬虔(けいけん)な心をもって接してきました。「キムンカムイ(山の神)」=と呼ばれたヒグマもまた、先祖代々重んじられてきた野生動物の一種です。狩猟民族アイヌにとっては、猟の対象でもあったヒグマ。信仰と獲物、その二つの対象であるクマに対して、アイヌの人々はどのような自然観を持っていたのか。今回の「シリーズ・クマの保護管理を考える」では、かつてのアイヌ社会における人とヒグマの関係を見ていきながら、現代の私たちがクマと上手に関わっていくためのヒントを探してみたいと思います。

「イオマンテ」に見るアイヌの狩猟信仰

クマの御霊を送る儀式「イオマンテ」。 i「それを」、oman「行く」、te「何々させる」というアイヌ語のイオマンテは、クマを「送り届ける」、「行かしめる」の意味を持ち、「クマ送り」、「クマの霊送り」とも呼ばれています。

かつてアイヌ民族の人々は、狩りでヒグマを仕留めた時、また、育てた仔グマを殺してその魂を故郷である神の国に送り届ける時に、クマの霊送りを行なっていました。一定の儀礼を行うことで、神々との良好な関係を保ち、再来を願うのです。

イオマンテの対象となる動物はヒグマだけに限りません。

シマフクロウ(コタンコロカムイ=集落の神)、エゾオオカミ(ホロケウカムイ=狩の神)、シャチ(レプンカムイ=沖の神)なども丁重に送られ、またイオマンテという言葉こそ使われませんが、クマゲラやエゾイタチ、狩猟の獲物となるエゾシカや魚についても、同様の儀式が行なわれていました。

門崎允昭・犬飼哲夫著『ヒグマ』(北海道新聞社、2000年)の「アイヌ民族とヒグマ」の章によると、動物の御霊(みたま)を祀るアイヌのこうした行為は、狩猟信仰というアイヌの信仰によるものだといいます。

明治政府による農耕牧の奨励政策が出される以前、アイヌの人々は、狩猟を主として生活してきました。

狩猟を行なう一方、野生の植物に対する高度な知識も持っており、春先に芽吹くフキノトウから、秋に生るクリやトチの実、ヤドリギの実なども補助的な食料として利用してきましたが、食生活の基盤はあくまでも狩猟。

猟の結果は一族の存続を大きく左右し、ゆえにアイヌの人々は狩猟の前後には猟の成功を祈り、常に獲物への感謝の気持ちをおろそかにすることはありませんでした。

アイヌの世界観によれば、狩りの獲物となる動物は、カムイ(神)が人間の世界に訪れているときの『仮の姿』だとされています。

人間界を訪れたカムイの化身は、善良なアイヌによって捕えられ、祀ってもらうことでその霊は神の国へ帰ることができるのだというのです。

カムイの化身である動物が、アイヌの人柄を見定めて、「この人間に獲物として捕らえられれば、神の国へと気持ちよく送ってくれだろう」と決め、捕われる。それが、アイヌの人々の「狩り」だったのです。

そして、アイヌの人々は、カムイの霊魂が、再び人間の世界に現れた時にも、自分のもとに訪れて恵みを与えるよう、祈りを込め「送り」を重視しました。

霊魂とは、この世と神の国とを巡回するもの。これをおろそかにして霊送りもしないでいると、霊は飢饉(ききん)や疫病などの悪さをすると考えられてきました。

興味深いのは、アイヌがカムイを祀る言葉のなかに、次のような意味が含まれていることです。

北海道の原野 © WWF Japan

ヒグマは北海道の生態系の頂点に立つ動物だ © WWF Japan

姿を見せたヒグマ © WWF Japan

「神様を祀るアイヌがいなくなったら、神様も祀ってもらえなくなって寂しいでしょう。これからも常に神様方を祀りますので、私の願いを叶えて、また戻ってきてください」。

そして、「送り」のお土産として、幣(へい/ぬさ:神前に供える布)や酒、団子を捧げると、6倍の量になって神の国に届くとされました。

アイヌの信仰では、クマは神の国では人間と同様の姿、生活をしており、神の世界へと送り届けられたクマは、このお土産で「雷の神」や「鹿の神」「魚の神」などの神々を招待して宴をひらき、そのおかげで肩身の狭い思いをすることなく、神の世界で栄えるそうです。

獲物からとれる毛皮や肉は、カムイから善良なアイヌへの贈りものであり、そしてアイヌはカムイに土産とともに御霊を神の国へと送り届けます。このように、持ちつ持たれつの関係が、アイヌの狩猟信仰の基盤となっています。

特別な存在であるヒグマ

キムンカムイ。アイヌの人々は「山の神」を意味するこの言葉でヒグマのことを呼びます。

動物の種類によって、神様の送り方に差のあるアイヌの狩猟信仰ですが、森の中で最も位の高い神様とされたのが、このヒグマでした。

「アイヌの世界観では、クマもまたあの世とこの世を行き来する動物だと信じられてきました。しかも、この世に戻る際には〝こっこ(=仔熊)〟まで連れてくる。それは凄いと思ったことでしょう」。そう話すのは、北海道白老(しらおい)町にあるアイヌ民族博物館の野本正博館長です。

「例えば白老のアイヌのイヨル(=テリトリー)は、太平洋沿岸の海から支笏湖周辺の山にまで至りますが、海の最高位のカムイとしてシャチ、山の最高位のカムイとしてクマが棲んでいます。 どちらにも「強い」という共通点がありますが、このカムイの強さや賢さ、人には無い、この世とあの世を行き来できる偉大な力にあやかりたい、という思いがあったのでしょう」

野本館長によれば、捕まえたクマは神送りをした後に食料となり、アイヌの人々はカムイからの贈り物であるクマの血や肉を取り入れることで、カムイの力を得るのだといいます。

「アイヌの重要な風習に『チャランケ(=談判)』がありますが、頭の良いクマの舌を食べることで、巧みな話術を授かると信じられていましたし、また強靭な大人になるようにと、子どもの手にクマの脚の腱を巻くなどといった風習がありました」。

日本(和人)の風習にも、例えば、神さまにお供えしたものを食べることによって、神さまの力にあやかったり、安産を願う「帯祝い」のように、多産・安産の犬にあやかって戌の日に行なうなど、秀でたものにあやかるという文化がありますが、同じような考え方がアイヌの社会にもあったことは興味深いことです。

北海道白老町にあるアイヌ民族博物館 © 藤島斉

野本正博館長 © 藤島斉

人を襲うクマとその対処法

アイヌは猟をするときであっても、常に山の神として敬う気持ちを忘れることなく、ヒグマを崇(あが)めてきました。

猟に出た先でヒグマに襲われた場合にも、アイヌの人々はこう考えたといいます。

「クマに襲われたのは積悪の家系の人ゆえ、つまり、その家系が代々積み重ねてきた悪事ゆえに襲われたのであって、非は襲われた人の側にある」そして、襲われた人の一族は、その山のクマとは『気に合わない』ところがあると信じて、その後は他の山で猟をすることはあっても、クマとの相性が悪いその山では狩りをしなかったといいます。

アイヌの人々の当時の暮らしを再現した展示 © 藤島斉

現代のように、人の暮らす里までクマが降りてくることもあったそうですが、その場合は、人に危害を与えるような凶暴なクマは、神から見放された不幸なクマと考えて処分しました。地域によって多少差がありますが、通常のクマのように厳粛に霊を神の国に送るような神扱いはしませんでした。

白老周辺では、悪心を起こして人を襲ったのか、自衛上やむを得ず襲ったのか、出来心であったのかを判断し、その度合いによって処置し、音更(おとふけ)のアイヌは、爪や牙が欠けているのはクマが何か悪事を起こした証であり、例えば歯牙の欠けなどの異常が2個あった場合には、このクマは神に対して2度罪科を犯したものと判断したそうです。

獲ったクマの身体についても、徹底的に調べられ、牙や爪が欠けているような異常があれば人を襲った証拠としました。

凶暴なクマの亡骸(なきがら)は野ざらしにされ、埋葬することもなく腐敗するに任せて放置されたり、肉を切り刻んで周囲にぶちまけ、鳥や犬が食べるのに任せたり、皮を裏返しに剥いで葬るなど、どの地域のアイヌにおいても、そこに神を崇めるという姿は見られません。

動物や植物だけでなく、お椀などの道具が壊れたときでさえ簡易な送りをするアイヌにとって、山の最高位の神であるクマの霊を送らないということは、異例中の異例だと言えます。

凶暴なクマへの処置、そこに共通するのは「懲(こ)らしめ」であり、一方では、人を誤って襲ったのは魔が憑(つ)いたからで、過ちを改めればもとの正しい神に戻れるという「逃げ道」も残されていると野本館長は言います。

「とても神様とは思えない扱いをするのですが、最後の最後には送ってあげる。そこには、追い詰めないというアイヌの心があり、それは人に対しても同じなんです」。

自然を観察するアイヌの人々の目

アイヌに丸木舟の作り方を教えたというキツツキのクマゲラ。漁の仕度に取り掛かる時季であることを告げてくれるというフクジュソウの花。津波から救ってくれたオオカミの話。

アイヌの説話の中には動物や植物をはじめ、風や雷など自然界のさまざまなものが登場します。

「アイヌはとても良く動物を観察していた民族でした」と話す野本館長は、動物の観察は、狩猟民である自分たちの安全を確保する上でも重要なことだったと言います。

自然豊かな白老。 © 藤島斉

「例えばクマを獲るときには、春の雪解けの頃の穴熊猟が基本でした。それは、クマは穴に入っている時が一番安全に獲りやすいからであり、毛皮の質も、熊の胆も品質が最高な時期だったからです。夏のクマなんて見向きもしませんでしたし、当然、夏にクマがいるようなところには行かなかった。結果として、活動的なクマに遭遇するリスクも少なくなっていたわけです」。

ヒグマの生態をしっかりと把握し、また、肉や毛皮などを利用するにあたって最良の時期を見定めたうえで狩りを行なうなど、合理的な面がうかがわれます。

その一方では、クマ猟に出ているときには、ペウレプチコイキ(クマがいるから獲りにこい)と鳴くエゾフクロウの鳴き声に注意を払ってクマの居場所の予知に努めたり、野営時に見る夢のお告げを重視するというような面もあったといいます。

「絶えず野生動物や自然のことを気にかけ、それらに配慮しながら生活するということ。現代の我々が忘れていることの一つでしょう。自分のスケジュールが優先される現代人には、自然のことに気にかけている暇がないのでしょうが、かつてのアイヌの生活のように、あくせくしていないライフスタイルを送ることで、見えてくることも多いのではないでしょうか」。

アイヌの言葉が語るもの

こうしたアイヌの人々の暮らしは、江戸期以降の近世、そして明治期に入った近代以降、大きく変容してきました。

一つのポイントは、150年ほど時間をさかのぼった明治期に、政府が推し進めたアイヌ民族の和人同化政策です。

この後、アイヌの習慣は次々と禁止され、日本語の使用が強制され、暮らしは、劇的に変化しました。

従来の伝統文化を根底からひっくり返すようなこうした大きな出来事により、現代においては、かつての伝統的なアイヌ文化を継承した、人とヒグマの関係を見ることはできません。

しかし、その文化や自然観が、完全に滅び去ってしまったわけではありません。

かつてのアイヌの世界観を依り代とした暮らしを、野本館長は「アイヌ暮らし」「アイヌスタイル」と呼びます。

「まだまだやることがいっぱいあるんじゃないか、と妻に言われることがあります。

現代のアイヌの文化は150年前の文化のまま止まっています。伝統的な建物や着物、歌や踊りを継承していく一方で、もっとイオマンテに代表される野生動物や自然界に対する精神世界、アイヌの世界観など文化の掘り起こしをして、将来残していくものを今作っておかないといけないと思うのです。

白老コタンの礎を気付いたコタンコルクルの像 © 藤島斉

アイヌに限らず、日本が、さらに世界全体が、近代化によって手に入れてきたさまざなものを一度突き放して、再評価してみる時期に来ているのはないでしょうか。

後はその勇気があるかどうかです」

野本館長はそんな言葉で話を締めくくってくれました。

現在の日本において、クマの「保護と管理」を考える上でも、こうしたアイヌ文化が培ってきた自然観は貴重な参考になるかもしれません。

命への崇敬を基本とし、人と良い関係を築けるクマと、悪い関係のクマがいることを、はっきりと認識し、それぞれに対応をとる。

それは、感謝や尊敬の念とはかけ離れた「駆除一本槍」にもなりがちな、現代のクマ出没対応に疑問を呈しつつ、自然の中の人間の立ち位置を、あらためて考えさせてくれます。

現在、「北海道ヒグマ保護管理計画」の策定が進む北海道では、2014年4月からその実施が予定されています。

すでに全国21の府県がクマに特化した保護管理計画を策定・実施している中、日本で唯一ヒグマの生息する北海道(全域)で、初めて策定・実施されるものです。

こうした現代における保護管理もまた、人と自然の付き合い方、の一つだといえるでしょう。

その中に、かつてアイヌの人々が持っていたような「信仰と狩猟」のバランスの感覚を、わずかでも盛り込んでゆくことができれば、日本のクマ、あらゆる鳥獣の保護管理の在り方は、変わってゆくかもしれません。

アイヌ、それはアイヌの言葉で「人」を意味します。

その「人」が今、これからに向けて、自然と共生できる未来を見いだせるのか。カムイの生きる北海道の大地と、そこに暮らした先人たちの智恵が問うています。

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