目撃者の証言:変貌する東京の四季


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日本(東京):徳川恒孝さん

5歳で終戦を迎えた徳川第18代当主の徳川恒孝さん。徳川家というルーツを持ちながらも、幼少期は、非常に慎ましい暮らしを送ってきました。東京に生まれ育って70年。かつて大雪が降った東京の冬も、今は信じられないほど暖かくなったと感じています。ものを大切にした江戸文化の良さを見直し、無意味な資源の浪費をなくすべきだ、と徳川さんは警鐘を鳴らしています。

大都市・東京からの証言

私は、生まれた時は松平の姓で、中学時代に母方の徳川家に養子として入り、徳川18代当主となりました。生まれは東京ですが、生後すぐにサンフランシスコに行き、太平洋戦争の始まる直前に帰国しました。
御殿場での疎開生活から東京に帰ってからは渋谷の松濤に住み、1946年に戦後最初の小学1年生となりました。冬はとても寒く、殆ど毎朝氷点下でした。家の中の暖房は炬燵と火鉢だけで、よく水道が凍って出なくなりましたし、無論温水などはありませんから、毎朝の洗顔・うがいも氷のような水ですませました。

徳川恒孝さん
(C)WWF Japan / OurPlanet TV

絵日記に記録した当時の気温

東京では雪もよく降りました。年に2、3回は30センチを超える雪が降ったと思います。中学に入ってからも大雪の記憶は沢山あります。先生を説き伏せて授業をやめて雪合戦に夢中になったのは楽しい思い出です。

休み時間には「押しくら饅頭」で、皆が集まってギュウギュウと押し合って体を温めました。温かくなると手や足先の霜焼けが痒くなるのは困ったものでした。足の霜焼けには運動靴の先に唐辛子をいれると良く効きました。

戦後の5~6年、東京はまだ一面の焼け野原で、そこは子供たちの遊び場でした。焼け跡から色々のサイズの焼けた金属の輪や棒を探し出して遊びました。
空は遮るものがありませんから本当に広く、凧揚げや昆虫採集にはもってこいの環境でした。着るものはみんな誰かの「お古」で接ぎだらけでしたが、それが当たり前のことでした。

毎年の小学校の夏休みの宿題に、今も変わらないと思うのですが、絵日記があり、そこに毎日の気温を書きました。夏休みの最後の日に、溜めてあった新聞から気温を調べて書いたものです。

その時の記憶では、30度を超える日は7日か8日位で、33度を超えるような日はありませんでした。まして35度などということは信じられぬものでした。

ものを大切にした江戸の文化

私の育った松平の家も徳川の家も、とてもモノを大切にする家庭でした。モノを捨てるという概念が無いのです。
頂いたお菓子の箱に千代紙を張って小物入れにしたり、海苔の缶が筆立てになったり、普段着も靴下も丁寧に継ぎをあてていました。今でも私はティッシュペーパーで机を拭いたりすることには強い抵抗感があります。

江戸時代から続いてきた日本の「ものを大切にする」文化、価値観が大きく変わってきたのは、高度成長時代の1975年くらいからと思います。
資源の乏しい日本が育てて来た大切な文化が「お金持ちになったのだから何でも外国から買えば良い、要らないモノは捨てて新しいものを買うのが正しい経済活動だ」というものに変わった時代でした。
今日、日本は世界で一番食べ物を捨てている国ですが、こんな日本を見ると先祖たちは仰天して嘆くだろうと思います。

東京には虫がいない

いまの子供たちは、虫がいると大騒ぎをして逃げます。虫はもう子供たちの遊び友達ではなく、馴染の無い、とても怖いものになりました。都会だけでなく農村に行っても虫は激減しています。街灯に群がっていた虫達がもう居ないのです。蝉の声も変わりました。

サラリーマン時代はほとんど気が付きませんでしたが、現役を離れてその変化の大きさに驚いています。私の友達だった赤とんぼも鬼ヤンマも、クロアゲハもアオスジアゲハもカラスアゲハも、もう殆ど見ることはありません。

日本は世界でも最も「清潔で安全で長寿」な国になりましたが、清潔ということを余りに強く追及したり、建物や電車の中に「暑い冬」と「寒い夏」を作ったりするのは、かえって人間を弱くしているのではないかと心配です。

過剰な梱包でゴミの量も増えるばかりですが、貴重な資源とエネルギーはもっと有効なこと、暖かい人と人の触れ合いや、子供達が自然に触れながら成長できるようにするために使うべきだと強く思っています。

科学的根拠

日本全体では過去100年間に平均気温が1.07度上昇しているが、東京は都市化によるヒートアイランド現象の影響が加わって、100年間に3度上昇している。温度上昇に伴って、東京の天気は大きく様変わりした。都市化とあいまって、東京の環境は激変している。
徳川さんのコメントどおり、50~60年までの東京では、真冬の最低気温は、氷点下が当たり前であった。1月の最低気温の平均は、観測開始以来(1876年)から1960年ごろまで、ほぼ氷点下となっている。しかし1960年代後半から平均気温にして氷点下はほぼ無くなり、近年では最低気温の平均で3度を越えるような暖冬が常態化している。
また冬から早春にかけての積雪は、年によって降雪量に大きな違いはあるが、1990年ごろまでは積雪があるのが当たり前であった。ところが2000年ごろからはめっきり減少し、最近では全くないか、わずかな積雪の年が増加している。

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ご自宅にて。奥さまと共に

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昔のアルバムを見る徳川さん

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昭和20年代半ば御殿場にて妹と夏

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昭和20年代半ば夏、御殿場秩父宮邸にて、中央が筆者

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昭和24年冬:東京都目黒区洗足の自宅にて

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昭和24年冬:東京都目黒区洗足の自宅にて

また、夏の最高気温の平均は1990年代半ばまでは30度を少し上回るくらいで推移していたが、2000年からは、最高気温の平均で33度を超える年が目立ってきた。徳川さんのコメントどおり、35度を超える記録は近年になって(1990年以降)急増した現象で、気象庁は2007年に35度以上の日を「猛暑日」と名付けた。それまでは25度以上を「夏日」、30度以上を「真夏日」と設定していただけであった。
これらの気象の変化は、当然生態系にも大きな影響を及ぼしており、都市化とあいまって、東京の自然環境を大きく変化させている。

(データ:気象庁)

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