目撃者の証言: 干ばつで壊滅した農場


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オセアニア(オーストラリア):ヒュー・イネスさん

ヒュー・イネスさんの家族は、1990年代のはじめに起きた大規模な干ばつの影響で、もう一歩で死に至るような、恐ろしい経験をしました。長期にわたった干ばつで、人々は家も何もかも失ってしまったのです。当時60歳だったイネスさんの父は、こう言っていたそうです「私がこの土地で暮らしはじめてから、天気は悪くなるばかりだ。季節もなくなってしまったよ」。イネスさんは、この言葉が忘れられないといいます。

オーストラリアの農場からの証言

私は、ヒュー・ロバート・チャールズ・イネスといいます。31歳です。私たち家族が住んでいた家は、オーストラリア、クイーンズランド州南東部のバンダバーグ(Bundaberg)の西方約50キロの場所にある、ジンジン(Gin Gin)という小さな町のすぐそばにありました。あの土地で育ったことを、私は生涯忘れないでしょう。あの干ばつですべてを失くし、「失ってはじめて、その大切さがわかる」という、まさに諺どおりの体験と、とても恐ろしい思いをすることになりました。

ヒュー・イネスさん
(C)Hugh Innes

始まった干ばつ

農場の長男に生まれた私は、私が名前をもらった亡き祖父のヒューと、父のロバートの跡を継ぐ3代目でした。育ったのは、ブラーマン種(Brahman)の牛を飼う、2万2,000エーカー(約89平方キロ)の農場です。ブラーマンは、オーストラリアで登録されている4番目に古いウシの銘柄です。

私は、干ばつという大変危険に経験をしましたが、不幸中の幸いだったのは、私がこの時、まだ若かったことでした。私は、当時18歳で、シドニーの英国教会グラマースクールでの学業を、ちょうど終えた頃でした。私は6年間、寮で生活し、年に4回の休暇期間に、家族と動物たちに会うため、帰省していました。

帰省するたびに、乾燥がひどくなっていることに気づいたのは、1992年頃からです。
ある日、私は父と一緒に、ダムの状態を確認するため、放牧地を車で走りました。そして、ダムに着いてみると、老いたウシが泥沼にはまって頭だけを突き出しているのが目に入りました。このウシは、喉の渇きを癒すため、危険をかえりみず目の前の泥に身を投げ出したのです。

ウシがこのような危険を冒した理由は、ダムだった場所の真ん中に残された、小さな水たまりへ行くためでした。 このダムはかつて、水深5メートル、100平方メートルの広さがあったのです。この死んでしまった、老いた哀れなウシを、私は忘れることができません。

当時60歳だった父は、こう言っていました「私がこの土地で暮らしはじめてから、天気は悪くなるばかりだ。季節もなくなってしまったよ」。父のこの言葉が、頭から離れません。

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1990年代初めのオーストラリア、クイーンズランド州にあるイネス家の農場の放牧地。「この写真の当時、草の状態が良くないため、ウシの健康状態も良くなかった」と、ヒュー・イネスさんは言います。

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牧草がないので、ウシ用のエサを運び込んでいます。この写真は1994年に撮影されました。

さらなる天候の変化

1992年に始まった干ばつは、私たちが土地を手放ななければならなくなった1995年以降も、しばらくの間続きました。

この干ばつの間、さらに内陸の土地に住む人々は、土地や家屋を手放さなければならなかったと聞きます。たくさんの農家が被害にあいました。そして今も、絶望の中で苦しんでいます。財産も、彼らが唯一知っていた「農家」という仕事も、失ってしまったからです。

この他にも、それまでなかった冬の霜や、夏のような天気が長く続く、といった変化があったことも覚えています。冬に成長する草や農作物の新芽はほぼ壊滅状態となり、ウシの餌となる牧草がさらに減りました。

さらに、干ばつに見舞われた長い夏の間、地面からはほとんど牧草が無くなったことで、状況は一層深刻になりました。私たちはウシに、茹でたソルガム(こうりゃん)(sorghum)やオオムギ(barley)を、与えなければならなかったからです。

このような餌のやり方は費用が高くつくため、ウシを売って得た利益だけでは、自分たちが食べていくのがやっとでした。

そして、1995年がやってきました。私は、あの激しい干ばつのあった、あの年の初頭のことを、思い出したくもありません。私たち家族が、6カ月あまりを命の危機にさらされながら過ごした直後のことでした。何もかも上手くいかず、収入もない時に、銀行は無情にも差押えの通告をしてきたのです。

私たちは住み慣れた土地を離れなければなりませんでした。家族は皆絶望し、両親は何も信じられず、友人さえも疑うような精神状態に陥ってしまいました。

農家と人々の未来

今思えば、それは意味のある経験でしたが、同時に恐怖の体験でもありました。この暗黒の日々以来、私はシドニーに移り住み、両親はブリスベンで家を借り、暮らしています。

母は婦人服のブティックを営んでいます。経営は順調で、私は母を誇りに思っています。しかし、父は糖尿病がひどくなり、足の切断手術を受けたために、歩くことも出来なくなりました。
ウシの飼育業者として、とても優れた人物だった父は、悲しいことに、もう二度とその仕事ができなくなったのです。私の知る限りで最も頑健な体を持つ父は、体を使う仕事もできず、ずっと家の中にいなければなりません。これは大きな苦痛です。

私は、オーストラリアの内陸部に住む人たちのこと、そして未来のことが、とても気がかりです。 もし世界が気候変動の問題に、より強く関心を寄せなければ、私たちの住む素晴らしいオーストラリアは、より荒廃してしまうでしょう。人々は収入をなくし、生活の手段も家も失い、絶望し、死さえも招くことになるかもしれません。

そうならないことを願い、人々への想いを駆って、私は詩を作るようになりました。
地球温暖化が深刻になる中で、私は心の底から言葉を生み出し、真実を語りたいと望みます。私たちはただ、何もせずにいるわけにはいかないのです。地球の人口が、これほど増加したこともかつてなく、大変な問題が起きているのです。
私は、私の言葉が、人々に届くことを願っています。

WWFインターナショナル/ホームページ掲載日:2007年6月15日
Climate Witness: Hugh Innes, Australia

科学的根拠

デビット・カロリィ博士(David Karoly) オーストラリア・メルボルン大学地球科学部

イネスさんは、彼の家族が持つ農場が体験した、1990年代初頭のクイーンズランド州南東部の、長期にわたる干ばつにについて、辛い話を話してくれました。この長期間の干ばつは、降雨の減少、度重なるエルニーニョ現象、赤道直下の東太平洋海域での海水温度上昇などに関連して起こっていると考えられます。これらの現象は、通常オーストラリア東部に干ばつをもたらすのです。
こういったことは、一般的な気候の変化の一部であり、2008年の最初の数ヶ月間、クイーンズランド州南東部では激しい降雨と洪水に見舞われました。しかし、温室効果による気候変動で上昇した気温がこれらの干ばつの状態を深刻化させ、湖が急速に干上がり、牧草地が乾ききってしまったのでしょう。
したがって、イネスさんの証言は、この地域において予測された気候変動の影響に関する査読された文献とある程度一致しています。しかし、この1990年初頭の干ばつは、主に自然な気候の変化によるものであったと思われます。

全ての記事は「温暖化の目撃者・科学的根拠諮問委員会」の科学者によって審査されています。

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