© Fritz Pölking / WWF

パンダの生態と、迫る危機について


ジャイアントパンダとはクマの一種で、標高約1,300mから4,000mの山岳地帯に生息しています。主に生息環境の森の森林伐採や狩猟などにより、レッドリスト(絶滅のおそれのある世界の野生生物のリスト)ではVU(危急種)となっています。2016年に生息地の保全活動によりEN(絶滅危惧種)から引き下げられました。

2000 A WWF Species Status Report より

(C)WWF/Fritz Polking

はじめに

ジャイアントパンダは世界中で広く愛されている動物で、ご存知のとおりWWFのシンボルマークとしても、1961年の設立当時から幅広く認知されてきました。
しかし、ジャイアントパンダの未来は必ずしも明るくありません。現在のジャイアントパンダの個体数はおよそ1,800頭あまり。その1,800頭がすむ中国南西部の山林も、切り拓かれるにつれて小さく分断されています。
中国政府は、これまでに30カ所以上のジャイアントパンダ保護区を設立しました。しかし、パンダの多くは保護区外にすんでいるため問題の解決にはならず、生息地破壊も続いています。このことは、中国の急速な経済発展とも決して無関係ではありません。

WWFは、1981年にアメリカの自然科学者ジョージ・B・シャラー氏らと共に実施したフィールド調査をきっかけに、ジャイアントパンダの保護の活動を開始しました。現在、1万6000平方キロものジャイアントパンダ生息地を保護区に指定するという大きな成果をあげています。

とはいえ、まだまだ課題は山積みです。保護区の維持や、人材の育成に必要な資金は、決して十分ではなく、長年の調査で蓄積された膨大なデータを活かすためのデータベースも、早急に整備する必要があります。
何より、ばらばらに切り離されたパンダの生息地を回復させて自然の回廊(コリドー)でつなぎ、将来にわたって保護してゆくためには、広く地域の人々の理解を得なくてはなりません。

ジャイアントパンダやその生息地を守りながら、地域の人々の生活を豊かにしてゆく、そんな理想的な保護のありかたを実現するために、WWFは現在、さまざまな活動に取り組んでいます。

© Wang Yue
 index
 ■中国での調査にあたって
  ジョージ・B・シャラー博士
 ・ジャイアントパンダという動物
 ・ジャイアントパンダのくらし
 ・ジャイアントパンダの森
 ・分布域と個体数
 ・脅威と問題
 ・保護の取り組み
 ・活動事例
 ■REFERENCES
 ■原文レポート(英語:PDF形式)
2000 A WWF Species Status Report"Wanted Alive! Giant Pandas in the Wild"
(表紙:520KB/本文:2.87MB

中国での調査にあたって   ジョージ・B・シャラー博士

木の生い茂る山道で我々の行く手は阻まれ、ベイツガ、マツ、そしてカバの樹冠の下にある竹が我々の周りで密生している。時々、薄紫の花房の蘭が木陰で輝く。ここ標高2,500メートルの四川省の臥竜保護区では、春寒の中で大気は涼しい。遠くでヒマラヤカッコウが鳴く。

突然ナチュラリストの胡錦矗が、二つの新しいパンダの糞を指し示した。パンダは近くにいるのか? 我々は、この神秘的な生き物の姿や気配を感知し、その物音を聞こうと感覚を研ぎ澄ます。ピーター・スコット卿とフィリッパ令夫人、ジャーナリストのナンシー・ナッシュ、そして私は、糞を取り囲んで恭しく写真におさめ、その大きさを測った(最大は14センチ×5.5センチ)。我々のグループの21人の中国人は忍耐強く見守りながら、むしろパンダが通り過ぎたことを示すこれらの落とし物に対する我々の喜びように困惑している。

しかし1980年5月15日のこの瞬間は、パンダにとって歴史的な意味があった。すなわち、WWFと中国の合同チームが初めて野生のパンダの存在を確認したことで、この稀少で貴重な生きものが将来、野生で確実に生存するための、長期にわたる共同作業が始まったのである。

ジャイアントパンダの歴史

パンダは、中国では古くから知られてきた。秦王朝の爾雅辞書は、「貘(mo)」として知られたパンダについて、紀元前220年頃に記述している。また西漢王朝(紀元前206年-西暦24年)には、西安の皇帝の庭に1頭のパンダが飼われていたとされている。最初の唐王朝(西暦618-907年)の皇帝であった唐の太宗の孫は、友好のしるしとして2頭の生きたパンダを日本に送ったとされているが、以後1950年代まで日本にパンダが来ることはなかった。

このように古代から知られ、また人目を引く姿をしていたにもかかわらず、パンダは実在の動物というよりも、幻の動物に近い存在であった。中国の巻物にはトラ、ツル、カメなど象徴性を持つ生き物が数多く登場するが、パンダはその中に入っていない。また、20世紀半ばまで、美術品に登場することもほとんどなかった。おそらく、その霧に閉ざされた山地林は余りにも山深く、パンダの習性はとらえどころが無かったのであろう。

1869年3月11日、猟師がパンダの毛皮をフランス人のイエズス会宣教師アルマン・ダビッド神父に持参、彼は「有名な白と黒の熊」が西洋科学の世界で知られていないことに気づいた。この発見は、パンダが「クマ」か、「アライグマ」の仲間かという論争に火をつけた。この問題は100年以上も後になって、DNA分析の結果、パンダはクマの仲間から早期分化した種であると判明するまで続いた。

しかしながら、パンダそのものは謎のヴェールに包まれたままだった。1929年4月13日、セオドア・ルーズベルトとカーミットの兄弟は、パンダを撃った最初の外国人となった。以後数年間、アメリカの博物館がパンダのトロフィーを獲得しようと何頭かを狩った。

パンダがWWFと自然保護運動のシンボルとして不動のものとなり、パンダの危機的状況に対する万人の同情を呼び起こしたのは、1936年のルース・ハークネスがパンダの幼獣を捕獲した事件であった。彼女が、スーリンと名付けられたそのパンダを米国に連れて行くと、国中がスーリンに夢中になり、一種の"パンダ教"を生みだした。それは現在も続いている。 

さらにまた、各国の動物園が無節操に競ってパンダを見せ物にするようになった。1936年から46年までの間に、合計14頭のパンダが、政治的混乱期の中国から外国人によって国外に持ち出された。その後中国はそのような収奪を禁止したが、10年も経たないうちに中国はパンダを親善大使に使うようになり、ロシア、米国、メキシコ、ベルリンなどにつがいで贈り、その合計は1957年から83年までで24頭にのぼった。

一方、野生のパンダについてはほとんど分かっていなかった。1970年代半ば、竹の一斉開花・枯死がパンダの生息地北部一帯で発生し、多くのパンダが餓死した。この現象は何年かに一度起こるもので、竹は実生からの発芽のみとなる。当時の生息数(個体数)調査によると、生息数は約1000頭と明らかに少なく、中国政府にパンダの危機的状況を警告した。国の宝と考えられる種の生存を懸念し、そしてその将来に責任を持つ立場にある中国は、1978年にパンダの研究を開始した。フィールドキャンプが、臥竜保護区の険しい山地林の斜面に造られた。

プロジェクトの変遷

我々のグループが最初に五一棚のフィールドキャンプを訪れたのは1980年5月のことだった。キャンプはボード板、タール紙、そしていくつかのテントからなる掘っ建て小屋。そこから、以後数年間にわたり、パンダの謎を解き明かそうという我々の使命を果たすための協力が始まった。WWF、胡錦矗、藩文石、私ジョージ・シャラーそして我々の仲間たちによる協力である。

自然史は、野生生物と生態系の知識の基礎である。それは、現実的かつ革新的で、長期的な保護計画のよりどころとなる情報を提供してくれる。我々は、ジャイアントパンダの出生と死亡率、移動パターン、そして社会生活について知る必要があった。

パンダは矛盾した動物で、遺伝的には肉食獣でありながら、一日およそ12kgの竹を食べることに生涯を費やす。なぜこのような菜食主義のライフスタイルに適合したのであろうか? こうした質問の答えは、パンダとその生息地の管理計画を作るための重要な第一ステップとなる。問題を明らかにし、解決策を提案することが必要である。パンダの生活よりも、パンダの稀少性と美しさに惹かれて、我々はまたパンダの知られざる独特の世界に自然と興味をそそられた。

プロジェクトは、使命の大きさをものともせず、向こう見ずな情熱と共に始まった。どんなプロジェクトも一部に科学的であり、経済学的であり、そして政治学的側面を持つ。予想もしない問題が常に持ち上がった。臥竜保護区のある 山地の一部で竹が枯死した結果を受けて、政府はパンダの食べ物が豊富にある地域においてすらも、大がかりなパンダ救助作戦を組織した。

1983年から1987年までの間、多くのパンダが必要もなく捕獲され、飼育下におかれた。愛すべきパンダが雪に覆われた山地で飢えている映像は、世界中の同情を集め、多額の寄付が寄せられた。100頭以上ものパンダが、現在動物園や繁殖センターで生気なく暮らすことを余儀なくされたが、これらの飼育下のパンダの繁殖率や生存率は決して高くない。

私が中国で活動している間、少なくとも2頭のジャイアントパンダが、五一棚周辺で罠にかかって死んだ。1974年から1986年までの間で、臥竜のパンダは半分に減少。密猟者と仲介業者には重い罰則が課せられるにもかかわらず、過去4半世紀の間に、間違いなく数百頭が生息域の各地で殺され、その毛皮は高価なハンティング・トロフィー(狩猟戦利品)として、台湾やその他の地域に売却された。

1984年、中国政府はジャイアントパンダが富をもたらす商品であることに気づき、動物園や、短期的にはスポーツ・イベントなど対して、年間100万ドルに上る料金で貸与を始めた。そのようなレンタルを行う理由を正当化するのなら、野生パンダの保護に向けての資金調達のためであるべきだと、私は思う。

気の滅入るさまざまな諸問題にもかかわらず、WWFは、ほぼ20年間にわたり、中国政府と忍耐強く、多大な責務を負ってパンダの保護活動を続けた。私は1985年にプロジェクトを離れたが、プログラムがその当初のビジョンをはるかに越えて発展するのを感心して見守った。パンダの管理計画は1989年に作成された。それと共に、プログラムの第二段階がスタートした。当初13だった保護区に、新たに20の保護区が追加され、このことでパンダの生息域の60%が保護されることになる。

また新しい生態調査が進行中である。森林伐採を禁止することで、生息地の破壊のスピードが遅くなるだろうと期待している。地域の人々のための環境教育プログラムと、キノコなどの非木材林産品から経済的な収益を得られるよう、地方自治体を支援する取り組みがある。保護区のスタッフは、現在パトロールするだけでなく、野生動物を観察するよう訓練されている。エコツーリズムの推進も行われている。それは、自然保護の結果生じた利益を、野生動物と森林だけでなく、地域の人々にも分配しようという、広範で統合されたプログラムである。

この作業の大部分は、中国の森林省のスタッフと大学の生物学者によって実行され、パンダにとって重要な展開となった。藩文石は、私と同じ時に臥竜プロジェクトを離れ、次いで陝西省の秦嶺山地でパンダ研究を開始した。10年間以上をそこで過ごし、彼と彼が籍をおく北京大学の学生は、パンダの社会生活と集団の個体数動態に関して入手できる最高の情報を収集した。学生の一人・呂植は、WWFのパンダ保護プログラムを実施しただけでなく、現在では、学生に助言をする立場となっている。1980年のあの日の精神は、世代を経て拡大し続けており、WWFが残した大きな遺産となっている。

もちろん、パンダのおかれている現状は安全ではない。将来もそうであり続けるだろう。人々から災難と関心を同時に呼びよせ、常に何かに脅かされるだろう。我々は、パンダが何を必要としているか知っている。それは竹林であり、幼獣のためのすみかと迫害からの解放である。楽観かもしれないが、ジャイアントパンダは、環境と、進化の驚異のシンボルとして生き続けてゆくことになるだろう。そして、この地球上の命のかけらを守ることは、我々が10年単位ではなく世紀単位に及ぶ責務をもって、その運命を用心、同情、英知、そして誠意を持って監視することを意味しているのである。

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ジャイアントパンダという動物

ジャイアントパンダは、容易に区別できる黒と白の特徴的な毛皮を持った大型の哺乳動物です。種の学名であるAiluropoda melanoleucaも、その黒と白の色彩に由来したものです。

パンダの分類については、100年以上にもわたり議論されてきました。科学者たちは、それがクマの一種なのか、アライグマに似たレッサーパンダの仲間に近いのか、あるいは独自の種に属するのか疑問を持ったのです。最近のDNAの研究は、ジャイアントパンダはクマの仲間で、早期に分化した種であることを明らかにしました。

【分類】 食肉目 クマ科
【学名】 Ailuropoda melanoleuca
【サイズ】 身長:120~190cm /体重:85~120kg
【食物】 主食はタケの幹、葉、タケノコ。稀に昆虫やネズミなども捕食
【レッドリスト】 VU=危急種(2016年にEN(絶滅危惧種)から引き下げられた)

特別な身体的特徴としては、すりつぶしに適した幅広く平らな臼歯、そして親指のように他の指と向き合った手首の骨です。これらは竹を食べるための適応と考えられています。また世界に分布するヒグマやツキノワグマなどと異なり、ジャイアントパンダとマレーグマは冬眠しません。
パンダの赤ちゃんが生まれるとき、それは驚くほど小さく、母親の体重の1/900ほどの100~200グラムしかありません。飼育下のパンダは最長30年以上生きることが分かっていますが、野生での寿命は通常20歳以下と見られています。また、秦嶺山脈では、白と黒のパンダの中に、稀に茶と白の個体が確認されています。

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ジャイアントパンダのくらし

食べもの

ジャイアントパンダの食べものは極めて特殊で、高地に生えるさまざまな種類の竹を食べています。希に肉を食べることもありますが、それは主に動物の死骸です。このユニークな食習慣のために、地域の人々から「バンブーベア」というあだ名をつけられました。

竹は栄養価が低く、生存には事足りるものの、ほとんど余分な栄養を取ることが出来ません。しかし、ジャイアントパンダはこの食性に適応しました。野生では、彼らは眠るか短距離を移動する以外は、最長で一日14時間も食べ続けます。パンダは、竹の部分で最も栄養があり繊維質の少ない、新しい茎や葉、そしてタケノコを好み、一日にその体重の40%にも達する12~38kgの竹を食べると言われています。

通常、ジャイアントパンダの生息地には2種またはそれ以上の種類の竹が生えており、竹が30~120年に一度、開花して枯死する時には、ジャイアントパンダは枯れずに残っている別の種類の竹を選んで食べると考えられています。しかしながら、生息地の分断が続くことで、生息地の区域に一種類しか竹が残らないというおそれが、近年増加しています。竹が枯れると、生息域内のジャイアントパンダは餓死に直面することになるのです。

© Fritz Pölking / WWF

繁殖

野外研究によると、飼育下のジャイアントパンダは野生の個体より長生きしますが、繁殖の成功率は野生の方が高いと見られています。自然の状態では、メスは何頭かのオスと交尾でき、オスはメスをめぐって競争し、更に発情している別のメスを探します。交尾時期は、通常2~4日間、オスとメスがつがいになる3月から5月の春の間です。

妊娠期間は約5カ月間。時おり野生での双子の出産報告がありますが、メスは通常は一度に一頭を出産します。飼育下では、特に人工授精が用いられると、双子が産まれやすいようです。
出産の直前、メスは出産場として樹の根元のうろや洞窟を選びます。メスはこの隠れ場所の中や付近に3カ月以上留まり、幼獣を注意深くそのがっしりした手のひらで保護するように抱いて育てます。数日から1カ月経つと、母親は自分の食べ物を探すため、幼獣をねぐらや樹のうろに1頭だけで残して離れるようになります。母親は2日以上も戻らないことがあります。これは幼獣を放棄しているのではなく、幼獣を育てるサイクルの自然な一部なのです。

幼獣は生まれてから1年経つと竹を食べ始めますが、その時までは完全に母親に頼って生きています。野生の幼獣の死亡率は飼育下のものより低く、約40%と推定されています。

社会行動

ジャイアントパンダは、単独行動を好む動物です。成熟したそれぞれの個体は明確な縄張りを持っています。通常はオスの縄張りの方が大きく、30平方キロに達し、時として数頭のメスの縄張りをその中に含みます。
縄張りを持つオス同士が出会う時、特に発情期のメスの周りに集まるときは、オス同士の間には明確な順位付けが見られ、順位をめぐって時々争いにも発展します。上位のオスはしばしばメスとの交尾の優先権を得ますが、下位のオスもまた、後で交尾するチャンスを獲得します。メスは成熟に3~4年、オスは約5年を要します。若いオスは、通常順位が低く、交尾の機会は7~8歳になるまで得られません。一方、メスは4~20歳の間に、2~3年に一度出産します。

ジャイアントパンダにとっての唯一の「家族単位」とは、母親と1歳半以下の幼獣の組み合わせだけです。しかし、ジャイアントパンダはしばしば、声と匂い付けによって頻繁にコミュニケーションをとり、お互いに交流します。この交流は発情期以外でも行われています。

パンダの幼獣は約1年で離乳しますが、母親が再び妊娠するまで通常1年半、一緒に過ごします。また母親がその間に妊娠しなかった場合、幼獣は2歳半になるまで母親のもとに留まります。ほぼその年齢となると、母親は仔を寄せ付けないよう追い払いますが、独立した後も、多くの幼獣は母パンダの近くで暮らすようになると考えられています。

しかしながら、若干のジャイアントパンダ、特にメスは、生まれた場所から遠く離れて定着するようです。いずれにせよ、ジャイアントパンダの生態と行動には、まだ謎が多く、一層の研究が必要とされています。

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ジャイアントパンダの森

残された秘境

ジャイアントパンダの生息している森は、標高約1,300mから4,000m、チベット高原の東端に接する中国北部から南部にかけての山岳地帯に広がっています。
その中でも、野生のジャイアントパンダが数多く生息している秦嶺山脈は、陝西省の古都西安の近くにあり、中国北部と南部の気候を併せ持っています。3000m級の山々がそびえ、北方からの乾いた寒風を遮る役割を果たす一方、緩やかな丘の広がる南部は温暖多雨で、変化に富む気候の恩恵を受け、貴重な動植物が数多く分布しています。

また、四川省から雲南省にかけて広がる山岳林も、ジャイアントパンダの重要な生息地です。ここには、臥龍自然保護区や王朗自然保護区を始め、ジャイアントパンダの生息と保護に重要な役割を果たしている、大規模な保護区が設立されており、保護活動の中心地域となっています。
これらの、温帯と亜熱帯の気候をもつ中国の山林には、ニレや、クルミ、カエデ、トネリコなどが茂り、標高が高くなるにつれて、植生が常緑広葉樹や針葉樹へと変化します。カラマツやカバノキの林の下には、笹やシャクナゲといった低木が生い茂り、様々な種類のタケも群生しています。ジャイアントパンダは、このような多様な植生の中で生育するタケを食べて暮らしているのです。

ジャイアントパンダ以外の動物では、シジュウカラ、キバシリ、キジ、チメドリなどの鳥類や、オオサンショウウオ、中国が手厚く保護しているターキン、キンシコウなど、いずれも絶滅のおそれが指摘されている野生動物が、数多く生息しています。
ターキンは、金色の毛皮をまとった、ジャコウウシ属の大型草食獣です。通常群れで生活し、竹などを食料にしています。また、 キンシコウは美しい金色の毛皮が珍重されている体長60~70cmの小型のサルで、大きな群れを作って生活しており、その数は多いときで600匹にものぼります。

生息環境の危機

秦嶺山脈は、動植物だけでなく、金やニッケルといった鉱物資源も豊富な地域で、資源を求める人々の手によって開発が進められてきました。整備された道路はジャイアントパンダなどの野生動物の生息域を小さく分断し、動物たちは他の地域へ移動できなくなってしまいました。実際、森林伐採や狩猟などによって、ジャイアントパンダをはじめとする、貴重な野生生物は、減少が心配されています。

もう一つの、秦嶺山脈の自然を脅かす大きな脅威は、自然保護区以外の地域における商用木材の伐採や野生動物の密猟です。
1988年に中国政府は、黄河の北部および長江南部の上流域にあたる秦嶺山脈での森林伐採を禁止しました。これによって、これまで木材の伐採によって生計を立ててきた人々は他の仕事を見つけなくてはならなくなりました。狩猟についても同じで、食料にしたり毛皮を売ったりするための密猟は跡を断ちません。
もし、職を失った人々に新しい職が見つからなければ、人々は合法・違法に関わらず、生活の糧のために森の資源を採取するでしょう。昔から秦嶺山脈で暮らしてきた人々が今後どう生計を立ててゆくかが、今後の大きな課題の一つとなっています。

 WWFは現在、秦嶺山脈で、孤立した生息域をつなぐための「緑の回廊(コリドー)」作りに取り組んでいるほか、ジャイアントパンダの生息地を取り巻く地域で、エコツーリズムを推進するなど、雇用の創出を図る取り組みも進めています。
 ジャイアントパンダを保護することは、今もかろうじて残されている、世界的に貴重な中国の森を保全することに他ならないのです。

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分布域と個体数

分布

これまでに発掘された化石によると、ジャイアントパンダの祖先は、今から200万~300万年前の鮮新世初期に、北京から中国東部および南部にかけて広く分布していたと考えられています。また、パンダの化石はミャンマーとベトナムの北部でも発見されています。
化石は、しばしば標高500~700mの温帯林と亜熱帯林で発見されており、ジャイアントパンダの分布域が大きく変化したのは、むしろ最近のことであると見られています。

生息地が広く失われた原因のひとつは、過去数百年で中国の人口が爆発的に増加し、もともとジャイアントパンダの生息地であった場所に、人間がやってきたためです。
かつて、ジャイアントパンダは今よりも標高の低い山に生息していましたが、今ではその大部分は開発されてしまいました。現在、ジャイアントパンダの生息地は、竹が育つ標高1,200~3,400mの高地に限られています。その生息環境は、竹が森の低層を形成しているチベット高原の東端、中国西部の温帯山地林です。しかし現在、その生息域は、大きく6ヵ所ほどの分断された山岳域に限定されています。

中国政府はジャイアントパンダの個体数の60%以上を保護するため、33カ所のパンダ保護区を設立しました。今後さらに、分断されたそれぞれの個体群が、相互に交流出来るように「緑の回廊(コリドー)」を造る計画を進めています。

個体数

ジャイアントパンダはクマの仲間では最も稀少であり、世界で最も絶滅のおそれが高い哺乳類の一種です。しかし現在、野生のジャイアントパンダが何頭いるのかは、正確には分かっていません。ジャイアントパンダは高山の急斜面の竹やぶに生息しているため、個体数を数えるのが困難なのです。

1970年代から1980年代に行われたジャイアントパンダ調査では、野生の個体が約1,000頭生存していると推定されました。現在の推定では、約1,800頭と考えられています。ジャイアントパンダの個体数調査は、WWFにとっても最優先事項であり、中国の国家森林局(SFA)と共同で実施されています。
現在わかっているジャイアントパンダの最も大きな個体群(約600頭)は、四川省の岷山山地に生息しています。岷山と秦嶺山地は、最も個体数の密度が高い地域と見られています。
しかし、全体的には調査データがまだ不十分なため、ジャイアントパンダの個体数と分布については、不明な点が多く残されています。

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脅威と問題

生息地の劣化と分断

ジャイアントパンダの生息には温帯林の豊かな竹林が不可欠です。しかし、1974-75年および1985-88年にかけて行われた地理情報システム(GIS)による長期の調査の結果、パンダの生息域が29,500平方キロから13,000平方キロまで減少してしまったことが判明しました。

そこで1988年、中国政府は中国南西部での自然林の伐採を禁止しました。また同年、WWFと四川省森林局が共同で、ジャイアントパンダの最大数が生息する平武県でのパイロット調査を支援しました。その調査の結果、商業伐採で劣化した生息地では、パンダの個体数密度が著しく低下していることが判明しました。

パンダは定期的な竹の開花サイクルに適応して生きているため、開発により生息地が分断化され、竹の種類が単一になることは死活問題です。さらに、近親交配がおこりやすくなることにより、病気への抵抗力、環境への適応能力、繁殖率の低下などが危惧されます。

ジャイアントパンダは繁殖率が低いため、一度個体数が減ると回復には長い期間が必要です。できるだけ早急に、生息地の状態の徹底的な調査を行うとともに、新しい行動計画を策定しなくてはなりません。
また、各々のパンダの個体群と生息地に関する情報が、今のところほとんど得られていません。異なる機関の間の情報交換がうまくいっていないことが原因のひとつにあげられます。調査のしくみを改善して、利用しやすいデータベースの作成が必要とされています。

法による保護

1984年、ジャイアントパンダは、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(CITES=ワシントン条約)の附属書IIIから附属書Iに移行され、基本的に商業目的の取引は禁止されました。パンダ及びその製品の取引は、ワシントン条約締約国による厳密な規制の下におかれています。

ジャイアントパンダは、中国重点保護野生動物名禄のI類に指定され、国、省、そして地方レベルで保護されている動物です。この法律の下では、ジャイアントパンダの密猟や毛皮の密輸で有罪を宣告された者は、死刑もしくは終身刑に処せられることになっています。
しかし、密猟は跡を断ちません。毛皮には高価な値がつくとされていますが、最終的な流通経路は不明です。1988年に自然林での木材伐採が禁止されて以降、摘発される狩猟件数が大幅に増えています。1992年、臥竜自然保護区では、たった一度のパトロールで70以上もの罠が回収されました。
1995年のはじめ、パンダを撃った農夫は終身刑に、また3人の共犯者は投獄されました。同じ年、パンダとキンシコウの毛皮を所持していた二人の男が中国で国境警備隊に逮捕され、死刑の判決が言い渡されました。1997年以降、法律は改正され、密猟者は死刑ではなく20年の懲役刑を科せられることとなりました。

現在、30ヶ所以上のパンダ保護区が設立されていますが、生息地の破壊と密猟は今も続いています。その主な原因としては、中国における自然保護の管理システムの問題と、パンダの生息地における住民の経済的基盤の問題があげられます。

環境保全と経済発展

自然保護区に指定された場所では、放牧地の造成や野生動植物の採取といった経済活動は制限されます。しかし、保護区外の生息地では、パンダを含む野生動物への配慮がないままに開発計画が進むことが多々あります。
中国にとって、持続可能な開発と環境保護は国家政策の重要なカギで、この10年ほどの間でかなりの進歩を見せました。とはいえ、自然保護の仕事に対する国の優先順位や一般の認知度はまだ低く、インフラも整っていません。また、賃金が安いためスタッフの能力やモラルも向上せず、財源確保のために天然資源の不正採取などが行われることもあります。
これらの問題を解決するためには、保護区が環境に負荷を与えない方法で運用資金を確保する道を見出す必要があります。そして政府も保護区への予算を増加し、インフラを整備してゆかなくてはなりません。

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保護の取り組み

© naturepl.com / Eric Baccega / WWF

パンダを救う

1980年代には、パンダを救おうとするあまり、救助の必要がない個体までたくさん保護されました。母パンダは、時折子どもを置き去りにして食物を探しに出かけ、だいぶたってから戻ってくる習性があります。この習性が知られていなかったために、単独で発見された子パンダを保護してしまった例がたくさんありました。
また、パンダの主食である竹は、30年から120年に一度、開花して枯死する性質があります。このため、竹の開花・枯死した時期に、飢餓を懸念して多くのパンダが捕獲されました。しかし、生息地が十分に広く、複数の種類の竹が生えている場合は、飢えの心配はありません。
これらの知識不足に起因する間違った保護のあり方を見直し、パンダが野生で生き残れるよう、政府指針が発表され、救済を制限するガイドラインが提示されました。

WWFの取り組み

パンダの危機的な状況を改善するために、WWFは過去20年以上にわたり様々な活動に取り組んできました。
1996年、WWFは中国森林省より平武県内の王朗保護区の支援を依頼されました。平武県は、四川省・岷山のパンダ個体群の中心に位置します。ここには中国で最も多くパンダが生息している地域と言われれていますが、残念なことに、その大半が3つある自然保護区の外になっています。当時、平武県の収入は60%以上が木材伐採に依存しており、パンダの生息域を破壊する原因になっていました。

野生動物の保全と経済活動の維持を両立させるべく、WWF は97年に「総合的な自然保護と開発のパイロットプロジェクト」(ICDP)に着手しました。
18万人以上の人が住む平武県にはすでに780平方キロもの保護区域がありますが、その設立当時、牧場や森林からの資源が得られなくなったことを知った地域住民から強い反発が起こりました。そこでICDPを開始する際には、地域と協力してゆくことを重視しました。
管理計画を作る際には地元の自治体側から共同管理ゾーンが提案・合意されたほか、保護区スタッフと地方自治体による共同調査も実施されました。その結果、どこでパンダが見られるかが文書にまとめられました。また、パトロールによる密猟の防止も実施されています。これらの情報はGISデータベースにまとめられ、日常の保護管理業務に役立てられています。

地域の人々の自然保護への自覚を高めるために、WWFは300名を超える保護区や関係する行政機関のスタッフなどに対してトレーニングを行いました。現在、平武のスタッフの能力とモチベーションはめざましく向上しています。
また、WWFは、四川省自然資源保全管理訓練センター(STCC)の設立を支援するなど、現在中国政府が行っている数多くのプロジェクト支援をしています。この支援を通して、中国の自然保護活動家・研究者・行政官・保護区スタッフに、自然保護活動の経験を積む機会を提供しているのです。研修は、異なる立場の間に共通理解を確立し、自然保護活動の全体的な認知度をあげることに役立っています。

情報の活用

深い竹の茂みと高低のある地形は、パンダの個体数調査を難しいものにしています。ジャイアントパンダは、果たして増えているのか、減っているのか。主な生息地はどこに点在しているのか、回廊で結ぶことができるのか。残念なことにこれらの重要な情報は、不完全で古いものばかりなのが現状です。
現在WWFは、パンダ保護のためのデータベース開発の支援をしています。データベースには、全国調査からの基本情報と生息地のモニタリング、パトロール、衛星画像から得られる最新のデータを統合するように設計されています。これを定期的に更新してゆくことで個体数変動と生息地の状態をモニターして管理することをめざしています。

WWFのパンダ保護プログラムは、自然保護と経済発展の双方をバランスよく続けていくことを目標としています。中国は、現在めざましく経済発展を続けています。自然保護に対する認識は高まってきているものの、まだまだ克服するべき課題は尽きません。中国政府の前向きな姿勢、安定した資金、そして自然保護と人間のニーズを共に満たしたプログラムが必要です。

1998年に開始された「傾斜地における農地再生」プロジェクトでは、パンダ生息地内とその周辺での土地利用パターンを調整するという重要な計画が進んでいます。今後このような土地利用計画に、生息地の回復プランが盛り込まれてゆくことが理想です。
パンダの個体群が行き来できる回廊を見きわめて、その周辺の環境を回復させることができれば、生息地が拡張されてパンダの個体群が大きくなるばかりか、個体群の間で遺伝子の交換も行われるようになるのです。
これまでの経験とデータを基に、ジャイアントパンダとその生息地のための保全プログラムは今後も継続してゆきます。パンダが存在するために何かが失われるのではなく、地域の人々がそこから利益を得ることが大切です。パンダ保護区が拡充されれば、そこで働くスタッフの雇用を生み出しますし、多くの利害関係者が保護プロジェクトに関われば、地域の暮らしが向上し、最終的には地域・そして国レベルでの政策変化をもたらすことでしょう。
ジャイアントパンダとその生息環境を保全するため、中国政府や地域の人々と協力しながら、今後もWWFは活動を続けてゆきます。

関連情報:ジャイアントパンダの海外への貸し出し

1980年代から1990年代初期にかけて、海外の動物園にパンダのつがいを多額の料金で貸し出すケースが続出しました。国際的な自然保護団体は、商業的な価値が生まれることで、野生のパンダの捕獲を誘発する事態になりかねないとしてこれを批判しました。1997年のワシントン条約締約国会議では「野生で捕獲された個体の輸出は、特定の場合を除いて認可されるべきではない」とされ、パンダの貸し出しで得た収益は野生のパンダ保護のために再投資されるべきという通達が発表されました。

現在、パンダを借りているいくつかの国々は、展示から得た収益を中国での保護活動にあてると確約しています。例えば米国魚類野生生物局(FWS)は、1998年にパンダのレンタルに関する覚書きを作成し、レンタルによって得た基金の半分以上を野生のパンダおよび生息地保護のために使うことを規定しました。今後は、信頼できる保全プログラムに利益が確実に投資されているかどうかを調べ、評価する制度を作ることが必要になっています。

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REFERENCES

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