シリーズ:クマの保護管理を考える(12)ヒグマと人間 その境界の最前線から


共存の道が模索される、日本のクマと人のくらし。一部の地域や自治体では、調査や対策が進みつつありますが、それにもかかわらず、クマが里地や市街地に出没し、人身事故などが起きる例が後を絶ちません。出没に悩む地域の多くで、住民は大きな不安を抱えています。クマが人と接近・接触する可能性がある場合、住民の安全を優先する緊急対応として、速やかなクマの捕獲が行なわれます。しかし昨今その現場にも深刻な問題が生じはじめています。北海道南部の町で取り組まれている、クマ対応の実情に目を向けてみます。

「クマが出た」呼び出しの電話

携帯電話の呼び出し音に、青山久雄さんはカボチャの収穫作業の手を止めました。

電話の発信元は町役場の担当部署。「ヒグマの目撃情報が入ったので、現場を確認するために同行してほしい」青山さんは作業を中断。猟銃を準備し、そのまま指定された現場へ向かいます―

ここは北海道南部、茅部郡(かやべぐん)の森町。
長年農家を営んできた青山久雄さんには、この十数年の間、幾度となくこうした電話が、繰り返しかかってきました。

身近にそれを目にしてきた青山さんの奥様は言います。
「畑で一緒に作業していて、いなくなったと思うとオレンジ色のベストを来て出かけるのが見えるので、ああ、またクマが出たんだなぁって分かるんですよ」

豚を飼い、30ヘクタールのカボチャ農場を経営する一方、森町猟友会の会長を務める青山さんのお宅には、クリップで留められたFAX用紙の束がありました。

「ほら、こういうのがFAXで届くようになっているんだよ」
宛名欄に「ヒグマ被害対策会議 構成員及び関係者様」と書かれたそのFAXには、森町役場に寄せられたヒグマの目撃情報が詳細に書かれ、目撃場所、日時、情報提供者から、どのような対応が取られたのかまで、ひと目で分かるようになっていました。

「そこに、ヒグマ被害対策会議って書いてあるでしょ。森町ではクマが出ると、全部そこに情報が流れるようになっていて、毎年20~30通、多い年だと30通を越える目撃情報が流れてくるよ」

森町がこうまで徹底した目撃情報の管理に取り組むことには理由があります。
1990年に町内で起きた、ヒグマとの遭遇による死亡事故。青山さんの言によれば、町で起きた初めての死亡事故で、しかも現場は凄惨をきわめたといいます。

「人が殺され、しかも喰われるなんて、道南で初めての事故だったから大騒ぎだった。遺体の損傷もひどくて、駆除したクマを解剖したら、胃袋の中から被害に遭った人の体の一部が出てきてね、さすがに見ていられなかったよ」 

基本的にクマが積極的に人を襲うことはありません。普段からクマは人と会わないよう注意して行動していますが、それでも何の偶然で両者がバッタリと鉢合わせしてしまうこともあります。このような場合、クマは自己防衛の最終手段として人を攻撃することがあるのです。

時に体重が200キロを超えることもある巨大なヒグマ。一度人身事故が起こると、それが重大なケースに至ることが多くなります。

さらに極めて特殊なケースではありますが、歴史をひも解くと、ヒグマが次々と人を襲う事件を確認することができます。特に有名なのが1915年苫前町で起こった「苫前事件(三毛別事件)」で、村の住人を次々に殺害しました。この惨事は、恐怖と共に人々に伝えられ、数々の小説や映画の題材にもなっています。

【参照】

例えば、ハチに刺されて死亡する事故が毎年およそ20件もあるのに対し、クマによる死亡事故は毎年起こるようなものではありません。それでも、住民への被害は物理的な側面だけではなく、精神的な側面にまで及ぶことを考えるべきでしょう。

森町では、1990年に起こった事件まで、里山はおろか、奥山に入る猟師でさえも、クマに出会うのは希なことでした。そんな、クマとは縁の薄かった町で起こった死亡事故は、まさに青天の霹靂(へきれき)。

のどかな生活は一転し、マスコミや野次馬が押し掛け、対応に追われた役場は大混乱となり、錯綜する情報に住民は大きな不安と衝撃を感じたといいます。

※地図をクリックすると拡大します

駒ヶ岳から見た大沼(手前)と小沼(奥)。
右の端あたりが青山さんの家

道南の風景。駒ケ岳を望む大沼国定公園

道南(函館市)の林道に立つ「クマ注意」の看板。

ヒグマによる人身事故の推移

北海道のヒグマ対策と森町の取り組み

この事故による経験から、森町では、警察、消防、マスコミをはじめ、ヒグマの研究者や猟友会会員も構成員として参加する「ヒグマ被害対策会議」を発足させ、緊急時にもパニックにならず、正確な情報を迅速に共有して住民の安全の確保する体制を整えました。

実は、森町のこうした取り組みは、北海道内においては先駆的な例だといいます。

大自然とクマの王国というイメージの強い北海道ですが、実は北海道にはヒグマを対象とした特定鳥獣保護管理計画というものが存在しません。

正確には、渡島半島にのみ、任意の保護管理計画がある、というのが現状です。

しかし、ヒグマが出没する現場では、森町のように進んだ取り組みをしている自治体であっても、まださまざまな課題を抱えています。

森町役場にヒグマの目撃情報が寄せられた場合の対応をみてみましょう。

まず、目撃情報が寄せられると、担当部署の職員が現場の確認に向かいます。この時、万が一の事故に備えて、青山さんのような猟友会の会員が猟銃を携えて同行します。

担当者は現場を確認し、このまましばらく様子を見るのか、許可捕獲の申請を北海道にする必要があるのか判断しますが、人への被害や農作物への被害など多くの要素を含んでいるため、対策の判断は非常に難しく、ときには同行したベテランハンターの見解も参考にしながら最終的な判断を下します。

こうした現場では、許可捕獲が行なわれることがしばしばあります。許可捕獲とは、行政当局が被害者の申請を認め、クマ捕獲の許可を出す形で実施されるもので、一般的には箱ワナを使って行なわれます。

ですが、人身事故につながる恐れが強く、担当者が人の安全が最優先だと判断した場合には、その場で銃器の使用を認めることがあります。このような緊急の場面では、緊迫する状況の中で適切な判断を下し、確実にクマを捕獲しなりません。
そうした状況に対応できる豊富な経験と、クマを確実に捕獲できる高い技術力を持つハンターが必要とされている現状があります。

ところが今、こうした熟練ハンターが、年々減少しています。30年前には150名以上いた森町のハンターも、現在は20名弱まで減少。平均年齢も70歳を超えてしまったといいます。

駒ヶ岳周辺には多くの清流が流れる

森の中にたくさん生えるオオブキ(アキタブキ)。

森の中には、朽ちていく大木の倒木が見られる。

過酷なパトロールの現場

ハンターの少数化、高齢化は、現役のハンターたちに、さらに過酷な現場を押し付ける、大きな要因になっています。

森町の青山さんもまた、即時に状況を的確に分析できる数少ない熟練ハンターの一人ですが、その現場は、年々厳しくなっているといいます。

森町のヒグマ被害対策会議の関係者に流される目撃報告は、年間20~30件。ですが、要請を受けて青山さんが出動する回数は、その報告数を上回ります。一度の目撃報告で、同じ現場に何日も通うこともあるからです。

2010年の夏も、こんなことがありました。
役場から同行の要請を受けた青山さんは、カボチャの収穫を中断、すぐにクマの出没現場へ向かいました。

向かった先は、青山さんの家から35kmほど離れた、秘湯で人気の温泉地です。周囲を山に囲まれたその集落は、地熱を利用したトマト栽培の盛んなエリアで、昔から、クマはいないと言われていた地域でした。

ところがここにヒグマがやってきて、ビニールハウスの中に忍び込んでトマトを食い荒らしたのです。被害は連夜に及びました。

捕獲のために設置した箱ワナも効果なし。風評に温泉客の足も遠のいた上、出没は実に1カ月にわたって続きました。

地域の学校では、保護者が生徒を送り迎えしましたが、こうした暮らしへの負担と絶え間ない緊張感に、子どもを持つお父さんお母さんたちもすっかり参ってしまったそうです。

そしてこの間、青山さんは万が一に備え、この温泉町まで往復70kmの道のりを、毎日パトロールのため通い続けました。毎朝3時半には起床して身支度をし、現場に入るのは、ヒグマが活動する明け方です。

当時の様子を青山さんの奥様は次のように話していました。
「早朝のパトロールを終えて、朝の9時頃に戻ってくるんですけど、もう本人はヘタヘタで、仕事にならないんですよ。

カボチャ収穫の忙しい時期に、なんで毎日毎日パトロールに行かなきゃならないのか、夫のほかに誰か行ける人はいないの? と思うんですけど、ほかの方は会社に勤めていたり、引退されてたりで、代わりがいないみたいなんですね」

すでに70歳を超え、引退も考えるという青山さん。しかし、どれほど困難があっても、クマが出れば現場に駆けつけるといいます。

「人身事故になったら大変だから」
心の奥底に染み込んだ、1990年のあの悲惨な事故。それを思い出すと、辞めるに辞められない、青山さんはそんな心の内を話してくれました。

道南の豊かな田園地帯(大野平野)を見下ろす牧場。


青山さんの畑へ向かう道。遠くに駒ヶ岳を望む。 ※補足、既にクマ出没エリア内。クマも学生も利用する道です。

熟練ハンターがいなくなる

青山さんのように、後継者不足を理由に、高齢になっても引退できないハンターは決して少なくはなく、全国的に見られる傾向と言えるでしょう。

そして森町でも、あと5年もすれば、今いる20名以下のハンターは、さらに半分以下になるとみられています。

「鉄砲を持っているからといって、クマの行動が読めるかというと、決してそんなことはない」という青山さんは、こうしたクマの害を最前線で防ぐためには、何よりもクマを、そして山を知る必要があるといいます。

「私にクマの撃ち方を教えてくれたマタギの爺さんは、クマ撃ちとして生計を立てていた最後のマタギの一人でした。うちに寝泊まりして、いろいろなことを教わったけど、その先輩がこんなことを言っていました。

まずは山を知りなさい。その次にクマの行動を知りなさい。鉄砲はその次、三番目だと。山は知らない、クマの習性も知らないで鉄砲を撃って、弾が当たらなかったらどうなります?

クマが山に逃げてくれればいいけど、町に逃げるかもしれない。山を知り尽くし、山にいるはずのクマがなぜこんな人里にまで出てくるのか、十分に考えなくちゃならない。

でも、クマの行動の先の先まで読めるハンターなんて何人もいないし、今それができるハンターもあと何年続けられるか分からない。それまでに若手を育てられればいいけど...」

渡島半島ではこうした状況の中、「熟練した狩猟者の減少と高齢化」問題の対策強化として、2005年から「人材育成のための捕獲」という取り組みが始まりました。

この制度は、春季の安全な時期に、捕獲技術の習得(伝承)のための許可捕獲を行ない、地域の危機管理体制の充実を図ることを目的に実施しているものです。

あくまで、捕獲技術の伝承を目的としており、クマの地域個体群にダメージを与えないよう、捕獲の時期や捕獲数の上限、親子グマの捕獲禁止、穴狩りの禁止など、細かい決まりが定められています。

しかし、これにも問題があります。
この制度の取り組みで、若手の教育係も務める青山さんは、急務である人材の育成については一定の評価をしながらも、使い勝手の悪さを指摘します。

「例えば、山奥に行くために通らなくてはならない国有林で、造林作業が行なわれていると、ハンターは立ち入り禁止になったりする。作業員の安全のため、というのはわかるけど、ライフルをケースに入れていても通ることが許されないんです。作業員のいる山の中で発砲するわけではないのに...」

猟銃の管理に求められる、ただでさえ厳しいルールに加えて課せられる規制に、青山さんはもどかしさを感じています。

「本当に人材育成が必要だと思っているなら、もう少し実情に合わせた環境を整えてくれないと、人を育てようなんて誰も思わなくなってしまうよ」

一人前のハンターに育つまでには10年がかかるといいます。
行政側ももちろん、徐々に制度の改善を重ねてゆくでしょうが、熟練の技術を習得するまでの時間を考えると、時間的余裕がどれほど残されているのか、現場では深刻な懸念がつきまといます。

増え続ける市街地へのクマ出没

水際で人的な被害を食い止める取組みが、後継者不足という危機に追い込まれる一方で、市街地に出没するクマのニュースは全国的に増えています。

地域によって状況や原因はそれぞれ異なりますが、基本的には「人とクマとの距離が近づいている」ということに共通点があることは間違いありません。

かつて日本には、「人が暮らす里」と「クマが棲む山」の中間地点には里山と農山村がありました。そして、この中間地点「中山間地域」が緩衝域となり、人や農作物などに被害を与える野生動物が、ここで追い返されていたことで、人とクマの間には、一定の距離が保たれていたのです。

しかし近年、中山間地域の過疎化や少子高齢化が進むと、田畑は荒地となり、里山も暗いヤブに覆われるようになりました。

この結果、かつての中山間地域がクマなどの野生動物の行動圏、あるいは生息圏となり、里、つまり人の生活圏との距離が近づいただけでなく、ちょっとした原因で人とクマのトラブルが起きるようになったのです。

2013年8月の末、森町の青山さんのもとに届くクマの出没報告は一気に増え、早くも30件に届いていました。過去に例のない出没件数の多さです。

「これほど森町の畑で農作物に被害が出たことはないねぇ。お盆が過ぎてから毎日どこかの現場に出向いてるよ」

クマが多く生息する東日本はもちろんのこと、かつては考えられなかった西日本の市街地にまで、最近はクマが出没するようになっています。

その年、その地域に限った特殊な例なのか、それとも今後、全国的に一般化していく流れの序章なのか、それは分かりません。

しかし、根本的な課題である、「人とクマとの距離が近づいている」という状況が解決できない限り、人とクマが遭遇・接触する機会は今後も増える可能性が十分にあります。そして、その状況に適切かつ迅速に対応できる体制を全国各地で整えなければ、人とクマとのトラブルはますます増えるでしょう。

今、その対応のための体制を整えている地域・自治体が、日本国内にどれほどあるでしょうか? クマが出没しても適切な対応が迅速に行なわれないと、住民の不安は不満へと転化し、住民のクマに対する過剰反応、さらには過剰な捕獲を招くことになるかもしれません。特に、市街地にクマが出没する際に懸念される傾向です。

結果的に、人と野生生物の共存の道から明らかに外れ、逆行した、不幸な未来を招いてしまう、そんな危険があるかもしれないということです。

「クマなんか撃ちたいなんて思わない」

「200mくらい先に木が立ってるでしょ。今年(2013年)の6月、あの先の畑に次々と3頭のクマが出てきたんだよ」

自宅裏にある畑を案内してくれた青山さんの口からそんな言葉が飛び出しました。

「つい一週間前にも1頭来ていたけど、足跡が残ってるから見てみるか。雨でだいぶ崩れたけど、まだ足跡だってわかるよ」。

案内された先は青山さんの自宅の目と鼻の先。確かにヒグマのものと思われる大きな足跡がありました。

「20年くらい前までならこんな町に近い畑にまでクマが下りてくることなんて考えられなかった」と青山さん。

森町でも、人とクマとの距離が近づいているということなのでしょう。
「クマというのは何百町もの縄張りを持っているというけど、同じ畑に3頭も出るってことは、このあたりに何十匹もいるってこと」

奥山の変貌、食物の不足、ハンターの減少など、その原因について思うところはある、と言います。

しかし、青山さんは何より、ヒグマによる被害や、事故を未然に防ぐことが、最大の関心事だといいます。それは、クマが生きる世界と、隣り合わせで暮らす地域の人たちに共通した思いかもしれません。

青山さんはこう言います。
「クマを撃って自慢しているようなハンターならいざ知らず、私も仲間のハンターも、クマなんか撃ちたいなんて思わない。被害が出たら困るから、危険が出たら困るからやっているようなもので、そうでもなければ自分の仕事を投げ出してまで、現場まで毎日通ったりしませんよ」

山を知り、クマを知る青山さんたちが最前線に立ち続けてきた、人と野生動物の境界線。

今後10年、20年でその境界線 はますます変化していくことでしょう。青山さんたちのような、最前線に立ち続けてきた人がいなくなったとき、日本の山野と農山村は、どうなるのでしょうか?

それは、今私たちにの喉元に突きつけられている問題です。これから野生動物との共存の道を、日本はどう築いてゆくのか。今、その未来が問われています。

青山さんの畑。エゾシカ除けの風船が風に揺れる。

先日畑に出没したヒグマの様子を話す青山さん。

畑に出没したヒグマの足跡。傍らにはキタキツネのものと思われる足跡も。

参考情報:特定保護管理計画制度について

特定保護管理計画制度は、クマ類をはじめとする6種の野生動物を対象に、科学的なデータに基づく保護管理を計画的に実施するため、1999年に創設されました。この計画は都道府県が策定し、その計画を指針にして保護管理を行なうものです。

ここでいうクマ類とは、ヒグマとツキノワグマ。計画の策定は任意ですが、ツキノワグマの特定計画を策定している府県は21にのぼります。一方、唯一のヒグマの生息地である北海道は、未だ特定計画を策定していません。

道内で唯一、保護管理計画がある渡島半島は、他の地域と比較して、高密度にヒグマが分布していると考えられます(推定生息数は800頭±400頭;平成20年1月現在)。

また、半島という地形的な特徴から、人の生活圏とヒグマの生息域が重なっており、人間とヒグマとの軋轢の頻度も高いといいます。

北海道が発表している資料によると、北海道全域と渡島半島地域を比較すると、渡島半島の「「許可捕獲」は高い割合で推移していることがわかります。これは、人間とヒグマとの軋轢の頻度が高いという一つの目安になるでしょう。

渡島半島の計画では基本となる次の3つの目標が設定されています。

  1. ヒグマによる人身事故の防止
  2. ヒグマによる農作物等被害の予防
  3. ヒグマの地域個体群の存続

この3つを基本目標とし、目標達成のための具体的対策として、以下の取り組みが実施されています。
「事故や被害の未然防止(先取り防除)」
「ヒグマ出没時の対応(危機管理)」
「地域個体群の管理」
「ヒグマ対策に必要な人材の育成と総合的管理体制の検討」
「対策推進のための調査研究」

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