WWFについてWWFの歴史

WWFジャパンの誕生

WWFジャパンの誕生

日本のWWF、WWFジャパンが設立されたのは、1971年9月22日のことでした。当時、世界で16番目に設立されたWWFでした。

設立の経緯

日本にWWFが設立されたきっかけは、1964年、東京オリンピックの際に来日した、オランダのベルンハルト殿下(当時、WWFインターナショナル総裁)が、日本の関係機関にWWFジャパンの設立を要望したことでした。

もちろん当時は、その母体となれるような、民間の自然保護団体がありませんでしたから、すぐに設立というわけにはゆきませんでしたが、その志はしっかりと日本に根を下ろすことになります。

ベルンハルト殿下が来日されてから4年後、「WWFの一員にはなれなくても、日本国内でWWFの活動に協力できる組織を作ろう」と、当時東京動物園協会の理事長であった古賀忠道氏を中心とする十数名の人々が、WFJC(野生生物保護基金日本委員会)を設立。活動を開始しました。そして、約1年の間、募金活動を展開し、集まった支援金をWWFインターナショナルに送付したのです。

一方で、WWFも日本の自然保護に関心を向け、WWFアメリカやイギリスは、絶滅寸前の状態だった日本のトキの保護のため、2年わたり合計300万円近い支援を行ないました。

折しも、1960年代以降、水俣病やイタイイタイ病に代表される公害の実体が次々と明らかにされ、国内でも環境問題が大きな社会問題となっていたため、政府は環境庁(現在の環境省)の発足を決断。世論もこの方針を強く支持しました

設立当時のWWFジャパン事務局© WWF Japan

日本の環境保全のはじまり

WFJCを含む国内の自然保護団体は、この新しい環境庁に対し、自然保護と環境保全に対する有効な行政を求める「環境庁設置のあり方についての声明」を発表しました。

当時生き残っていた野生のトキはわずかに11羽。ニホンカワウソも、すでにその姿はほとんど見られなくなるなど、日本でも自然環境の悪化と野生生物の絶滅の危機は、年々深刻になりつつありました。

1971年7月、環境庁が発足し、ここに日本の「環境行政」がスタートしました。そしてその同年、WFJCは総会で、WWFジャパンとして新しく出発することを決め、役員の選任を行ないました。

9月22日、環境庁に遅れること2カ月で、WWFジャパン(当時は世界野生生物基金日本委員会)は正式に発足。当時の会員数は約1,500人 と、まだまだ規模としては小さな団体でしたが、それでも、当時の日本で絶滅の危機に瀕していた野生生物、すなわち、トキやコウノトリ、ニホンカワウソ、タンチョウ、アマミノクロウサギ、ゼニガタアザラシなどの保護活動への支援を中心に、新しい活動の一歩を踏み出したのです。

初期の事務局の様子© WWF Japan

多くの方のご支援を得て

WWF ジャパンは、最初期の活動の一つとして、1965年に発見されたばかりの、イリオモテヤマネコの保護・調査支援に取り組みました。1973年からIUCNの一員として行なった調査では、大まかなその生態と生息個体数(58~77頭)をつかみ、これに基づいて1977年、「イリオモテヤマネコの保護施策推進についての要望書」を、環境庁、文化庁、沖縄県庁に提出しました。

また、1979年にスタートし、1980年代に入ってから本格化した「WWF・中国ジャイアントパンダ・プロジェクト」は、WWFジャパンが初めて、国際的な野生生物保護プロジェクトに参加・協力したプロジェクトになりました。

これは当時、推定個体数が1,000頭以下といわれていたパンダを絶滅から救うため、中国政府の依頼を受けたWWFが、ジョージ・B・シャラー博士らの協力の下、数百万ドルを投じて調査・保護に取り組むというものでした。

WWFジャパンは1983年から翌84年にかけて、国内で「パンダを守ろうキャンペーン」を展開。ボーイスカウト協会や、テニス選手のビヨン・ボルグ氏らをはじめ、多くの団体、個人、著名人や関係省庁の協力を得て、募金活動や作文コンクール、記録映画「パンダを救え!」の上映、シンポジウムなどを開催しました。

そして、2年間のキャンペーンの結果、累計1億円近い支援金がWWFジャパンに寄せられ、パンダの生息地である中国に送られることになったのです。

1983年の「パンダを守ろうキャンペーン」
© WWF Japan

拡大する活動

その後、WWFジャパンも、スイスのWWFインターナショナルに合わせ、「世界野生生物基金」から「世界自然保護基金」へと名称を変更。野生動物の保護から、広く環境の保全へと活動を広げてゆくことになりました。

1990年代になると、日本国内のみならず、世界各国にかかわる活動を推進するため、国際条約に関連する取り組みを、より積極的に推進するようになりました。

当時、特に力を入れていたのは、ウェットランド(湿地環境)の保全で、1991年のJAWAN(日本湿地ネットワーク)設立への支援や、1993年に北海道の釧路で開催された、第5回ラムサール条約会議の前後には、全国的なウェットランド保全キャンペーンを展開。

またその後も、九州有明海の諫早湾や、愛知県名古屋市の藤前干潟など、貴重な干潟環境を脅かす開発問題に取り組む一方、これらの問題が、世界的な環境保全の視点からも重要な問題であることを広くアピールし、日本政府に働きかけました。しかしその後も、日本では国内でもっとも豊かな干潟といわれた諫早湾干潟を始め、和白干潟や泡瀬干潟など、かけがえのないウェットランドが、開発によって消滅の危機に瀕しており、世界的にもその多様性と希少性を認められている南西諸島の自然も、年を追うごとに失われつつあります。

これらはいずれも、WWFジャパンにとって長年にわたる、重要な活動の課題となっています。

1997年に閉め切られた九州有明海の諫早湾。日本屈指の干潟の自然が失われてしまった。
© WWF Japan

持続可能な社会をめざす

WWFジャパンは、日本が大量に輸入している木材を、環境に配慮して生産されたものに切り替えることで、間接的に世界の森林保全を推進する活動にも取り組みました。

WWFもその設立にかかわった、FSC(森林管理協議会)による「森林認証制度」を日本に紹介し、世界有数の木材消費国として、国際的な森林保全と持続的な木材利用を実現する取り組みを推進したのです。

林業界や行政関係への長い働きかけが実を結び、2000年には三重県と高知県に、国内初のFSC認証を受けた「森林に優しい木材製品」を生産する認証林が誕生。FSCに対する国内の認知度と関心は、今も確実に高まりつつあり、日本に木材を輸出している諸外国も、今後の展開に強い関心を抱いています。

また、持続可能な魚や貝などの水産物を認証する、MSC(海洋管理協議会)についても、日本への導入を図り、実現しました。これらはいずれも、日本が消費大国として、世界の自然に及ぼす影響を軽減する取り組みとして、現在も推進しています。

1990年代以降、学校やニュースなどでは、さかんに地球環境問題のことが取り上げられるようになり、問題意識も高まりました。NGOの活動などが活発になった時期にも、これは符号します。

MSCラベルのついた国産の海産物© WWF Japan/Y.Machida

拡大する活動

WWFジャパンが、地球温暖化のような、新しい問題にも取り組み始め、活動の幅を大きく広げたのも、まさにこの時期でした。

現在は、環境問題のみならず、情報、経済、物流、あらゆるものが国境を越えて広がり、グローバル化が進んでいます。

WWFジャパンも近年は、従来から取り組んできた、干潟などのウェットランド(湿地環境)の保全や、野生動植物の保護、外来生物の問題などに加え、木材、水産物などの輸出入、そして地球温暖化といった、国境を越える問題への取り組みに力を入れています。

日本を代表する環境保全団体として、また、世界に通じるネットワークを持つ国際団体として、WWFジャパンは活動を展開しています。

日本で開かれた温暖化防止のための国際会議© WWF Japan

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パンダロゴが生まれたわけ

1960年代、WWFの設立に携わったスコット卿らは、ジャイアントパンダという、魅力的で大きな動物を、自分たちの組織のロゴに選びました。