水田・水路の生物多様性と農業の共生プロジェクト


淡水生態系の保全をめざして

日本の原風景ともいえる水田の景観。それは、多くの固有な野生生物の宝庫です。しかし今、その自然は深刻な危機にさらされています。環境省の「レッドリスト」は、日本産の淡水魚の実に43%が絶滅の危機にあることを指摘。その多くを、水田などに生息する魚類が占めていることを明らかにしています。周辺の山地や雑木林とも一体となり、「里山・里地」を形作ってきた「水田」をいかに未来に引き継いでゆくのか。WWFジャパンは、日本の自然をまもる取組みとして「水田・水路の生物多様性と農業の共生プロジェクト」を推進しています。

WWFの水田・水路の生物多様性と農業の共生プロジェクト概要

目的 日本の淡水生態系、特に水田環境の保全
フィールド モデル地区:佐賀県福岡県熊本県にまたがる水田地帯
期間 2016年7月~2021年6月(プロジェクト準備期間含む)
実施体制 協力者
WWFジャパン 専属スタッフ1名
鬼倉徳雄
九州大学大学院生物資源環境科学府附属水産実験所(動物・海洋生物資源学講座アクアフィールド科学研究室)
中島淳
福岡県保健環境研究所
林博徳
九州大学大学院工学研究院環境社会部門(流域システム工学研究室)
鹿野雄一
九州大学持続可能な社会のための決断科学センター
進展状況 2016年7月:プロジェクト計画の策定開始。構想と戦略の立案。協力関係先への打診。フィールドの施策 ほか
2017年8月:絶滅のおそれのある野生生物を中心とした生息地マップの制作に着手。九州大学との共同調査・研究の開始

水田の生態系とその危機について

生物多様性の宝庫

かつて各地の水田に生息していたメダカやカエル、アメンボなどの野生生物。

日本の原風景の一部でもあったこの野生生物たちは、自然と共生した伝統的な農法が育む、水田や水路などの環境に適応し、息づいてきました。

水田・水路は、人の手が入った二次的な自然環境であり、原生の自然ではありません。

しかし、隣接する山地や雑木林と一体となった、水田、水路、ため池などは、生物多様性がきわめて豊かな場所。里山、里地と呼ばれる景観の重要な一部を構成するこの自然に適応し、進化を遂げてきた野生生物も少なくありません。

水田やそれにかかわる水環境は、日本をはじめ、稲作文化を持つアジア地域に広く分布していますが、国際的な湿地保全条約「ラムサール条約」でも、これを保全すべき重要な水環境(ウェットランド)の一つとして定義しています。

日本におけるこれらの水田・水路は、国内で最も生物多様性の高い自然環境の1つであり、多くの日本固有種を含む、5,668種もの野生生物が確認されています。(*1)

水田と、そこに生きる生物に迫る危機

しかし、日本の水田・水路の環境には今、大きな危機が迫っています。

かつて生物多様性の宝庫だった国内の水田は、1960年代から2000年代までの間に水田面積が3万3,900平方キロから2万5,800平方キロに減少。当初の約24%が失われました。(*2)

また、残った水田でも、コメ農業の生産性をあげるために行われた水田整備施策などにより、深刻な生物多様性の低下が起きています。

▼水路のコンクリート化

かつて土で形作られていた水田の水路は、タナゴやカエルなどの格好の生息地でした。しかし、コンクリート3面張りの水路に改修する工事が進んだ地域によっては、淡水魚や両生類の生息に適した環境が広く失われることになりました。(*3)

▼農法の変化

農業の近代化、合理化は、コメ農業の生産性を向上させる一方、伝統農法に適応し、進化を遂げてきた野生生物の減少や絶滅の危機を加速・拡大させる一因となりました。例えば、昔は使われていなかった、農薬の使用。これは合成農薬が登場した戦後、対処療法的な受け身の害虫対策から作物以外の生物を極力減らす攻めの害虫対策に転換したことを受け、多くの昆虫類などが田んぼから姿を消しました。また、耕運機を使いやすくするため、冬季に田の水を抜いたり、水路の水位を調整するといった水田管理も、野生生物が産卵できなくさせたり、移動できなくさせるなど、生息数を減少させる原因にもなっています。

▼侵略的外来種の侵入

海外から日本の水田に持ち込まれた「外来種(外来生物)」も問題になっています。在来の生物を食べてしまったり、すみかを奪ってしまう、ウシガエルやアメリカザリガニなどが有名ですが、この他にも、近年ペットショップで売られていたタイリクバラタナゴという観賞魚が野外に放流され、在来の日本固有種であるニッポンバラタナゴとの交雑が進み、種の絶滅が懸念される、といった問題も起きています。


こうした状況の中、かつては身近でありふれた存在だったはずの魚や両生類などの野生生物が、絶滅が懸念されるほど減少しています。

環境省がまとめた日本の「環境省レッドリスト2017掲載種数表」では、汽水域(河口など海水と淡水が混ざる場所)や河川湖沼などの淡水域に生息する日本の魚類の、実に43%(評価種約400種)が、絶滅したか、絶滅のおそれがあるとされています。(*4)

この割合は、哺乳類の26%(160種)、鳥類の16%(約700種)、爬虫類の37%(100種)、両生類の33%(76種)、無脊椎動物の1%(約5,300種)と比べ、動物の分類群の中で最も高い割合となっています。

しかも、魚類に限らず、絶滅のおそれのある種に指定されている野生生物の多くが、水田・水路を含む里山などの二次的自然を主な生息環境としている種によって占められています。


求められる「人と自然が調和した風景をまもる」取組み

陸地を移動できる哺乳類や爬虫類、また空を飛ぶことの出来る鳥類と異なり、淡水魚は基本的に、つながりのある、連続した水系の中でしか、移動・分散することができません。

このため、水のつながりが絶たれてしまうと、どれほどありふれた数の多い魚であっても、一気に数を減らしたり、絶滅に追い込まれてしまう可能性が出てきます。

こうした水系の断絶・改変という水環境の破壊は、個々の野生生物を絶滅の危機に追いやる脅威であると同時に、水田という本来豊かな水環境そのものの劣化と消失を招く、深刻な事態の顕れでもあります。

水田の水路

生物多様性条約事務局が公表した『地球規模生物多様性概況第4版(GBO4)』(環境省訳)でも、今後起きるであろう陸域の生物多様性の損失の70%は、農業に関連した要因によるものである、と予測しています(*6)が、これは日本にも当てはまるものです。

日本国内に現存する水田は、2万5,800平方キロ。これは、4万7,100平方キロある全農地の約54%を占めており、国土の中でも代表的な景観の一つとなっています。

5,668種もの野生生物が生息・生育する水田という生物多様性の宝庫をまもることは、農業に関連した要因から野生生物をまもる世界的な潮流の中で日本に求められる、重要な取組みなのです。

水田の自然を守り、水のつながりを視野に入れた景観の保全を実現することは、危機にある野生生物の保全につながるばかりでなく、人と自然が調和した風景を守る、未来のヴィジョンを描くものといえるでしょう。


WWFジャパンの取組み

2017年、WWFジャパンは、水田・水路の生物多様性を保全するため、豊かな水田・水路を応援するプロジェクトを開始しました。

この取組みでは、4年間、佐賀県、福岡県、熊本県にまたがる水田地帯をモデルとし、具体的な課題に取組みつつ、そこで得た知見を佐賀県、福岡県、熊本県、その他の絶滅危惧種が生息・生育する水田の現場や政策などにはもちろん、全国の水田・水路の野生生物をまもり、農業と共生していくためにも活かしていくことを目指します。

WWFジャパンの視点

WWFジャパンは、水田・水路の自然と野生生物をまもるために、農業との共生プロジェクトを進めます。水田は、野生生物の宝庫であると同時に、日本の大切な農業の場となっています。私たちは、保全と生産のどちらかだけを優先するということではなく、共に未来を目指すためのプロジェクトを進めていきたいと考えています。

WWFは、現在までに世界の森林や海洋の自然をまもるため、林業や水産業の分野で、生物多様性の保全と林産物や水産物生産の共生を目指すプロジェクトを進めてきました。

このプロジェクトでも、日本の水をめぐる生物多様性の保全につながるように、より良いコメ生産と、そのようにして作られたコメを積極的に選ぶなどのより賢い消費を社会に広げるという視点とともに農業を進めている様々な方々と一緒に取り組んでいきます。

フィールド紹介

佐賀、福岡、熊本の3県には、今も広大な水田地帯が広がっています。

この水田には、網の目状に分布する「クリーク」と呼ばれる農業用水路が無数に見られ、多くの野生生物を育む水環境としての機能を担っています。

古くから豊かな田んぼとして利用され、同時に絶滅危惧種が多く生息するこの水田地帯は、現在、国や県により下記の重要地域にも指定されています。

  • 環境省 日本の重要湿地500
  • 環境省 日本の重要里地里山500
  • 佐賀県 生物多様性重要地域

具体的な取組み

WWFジャパンは、具体的な課題に取り組む佐賀県福岡県熊本県にまたがる水田地帯での活動を実施してゆきます。また活動を通して得た知見を全国の水田・水路の野生生物をまもるために活かす日本全国での活動にも今後取り組んでゆきます。

  • 第1ステージ
    多くの絶滅のおそれのある種が生息する広大な水田地帯の中で生物多様性保全上重要な地域を抽出し、生物多様性優先地域マップとして地図化して公開する。
  • 第2ステージ
    佐賀県、福岡県、熊本県にまたがる水田地帯においてモデル地区を設けて、地域の特性に合ったよりよい生産と生物多様性保全の両立のための取組みを、地域社会の農家や自治体などと協働で行なう
  • 第3ステージ
    第1ステージの生物多様性優先地域マップ成果と、第2ステージのモデル地区の成果事例をまとめ、日本全国に"日本の水田・水路と農業の共生モデル"を発信し、より広い地域で同様の取り組みの展開を呼びかける

調査の様子

【生物多様性優先地域マップ】

生物多様性優先地域マップづくりの取組みは、九州大学鬼倉徳雄先生のご協力のもと現地調査と保全に向けた取組みを行なっています。

鬼倉徳雄先生の研究室では、このフィールドで、約10年前から絶滅のおそれのある魚類などの調査を実施してこられました。

WWFジャパンは、鬼倉徳雄先生のご協力のもと、2017年8月から九州北西部の水田生態系を構成している野生生物を調査し、最新のデータで特に重要な生息地を明らかにして、地図化(マップ化)する、共同研究を行ないます。

この取組みでは、鬼倉徳雄先生が10年前に行なった調査をアップデートした上で、10年前の調査結果と、今回の調査結果を比較し、水田・水路に生息・生育している動植物の増減を科学的に把握することも目指しています。動植物の増減とは、例えば、絶滅のおそれのある種の分布域・生息域の縮小や侵略性のある外来種の分布域・生息域の拡大を明らかにしたいと考えています。

そこで明らかにした結果を以下のことに活かしてゆきます。

  1. 水田の生物多様性保全上の課題とその対策をまとめ、他の国内の水田環境においても大きな効果が期待できる保全の手立てとして提言としてとりまとめる
  2. 佐賀、福岡、熊本の水田の現場とそれを支援する政策づくりに活かす
  3. 全国に発信し、交流し、広げる、学びあう

この取組みの成果は、国では環境省、農林水産省等、自治体では佐賀県、福岡県、熊本県にとっても課題である、二次的な自然環境の保全政策にも反映され、活用されることが期待されています。

今現在は、十分な調査もなされないまま多く行なわれている水田環境の改変、開発を、野生生物の生息や生育に配慮しながら、事前に対策を立て、その影響を回避して保全できるようにしてゆくことが、その目標です。

准教授:鬼倉徳雄
大学院生:一安美希、梅村啓太郎、若林瑞希

 


プロジェクトのゴール

WWFジャパンは、4年間のプロジェクトを通して、以下のゴールを目指していきたいと思っています。

  • 佐賀県、福岡県、熊本県の水田・水路の生物多様性と農業の共生が実現されることにより、日本の水田・水路の生物多様性が保全されはじめること
  • 日本で水田・水路の生物多様性と共生した水田農業が主流となり、消費者にもその大切さについての意識が広がり、その水田で取れたコメに対する消費選択が拡大すること

担当スタッフ紹介:WWFジャパン自然保護室・国内グループ担当 並木崇

WWFジャパンで日本の自然をまもる取組みを担当しています並木です。

このプロジェクトのフィールドは「水田」です。しかし、取組みを考える上でカギになったのは「水」という言葉でした。水は、あらゆる生命の営みを支えるものです。山林も、川や湖、草地や湿地も、水が無ければ成り立ちません。水をまもることは、日本の自然をまもる上で欠かせない、大きな基礎の一つなのです。

WWFジャパン自然保護室・国内グループ担当 並木崇

水をまもるためにはどうすればよいのか。そんな問いから生まれたのが、周囲の山林や里地ともつながった「水田」をまもるプロジェクトでした。鳥が、魚が、虫たちが生きる水田は、それ自体が人と自然の「共存」を体現した環境です。そんな自然を守りながら、農業という営みを続けてきた人たちが日本の各地にはいらっしゃいます。これは、本当に素晴らしいことと思います。

しかし今、水田の自然は大きく失われようとしています。30年前は当たり前にいたメダカなどの野生生物も「絶滅危惧種」に国や県により指定されるようになりました。

私たちは民間団体という立場から、この水田の生物多様性を守り、農業や地域社会の暮らしにも貢献できる未来に向けた取組みを、生産者や自治体、研究者や企業などの方々と、立場を超えて共に目指していきたいと思います。


参考資料

  1. 桐谷圭治(2010)改訂版田んぼの生きもの全種リスト.1pp.
  2. 環境省(2016)生物多様性及び生態系サービスの総合評価(JBO2).11pp.
  3. 佐藤太郎・東淳樹(2004)農業用小河川における生態系に配慮した排水路改修が魚類相と生息環境に及ぼす影響.野生生物保護9(1).63-76pp.
  4. 環境省(2016)生物多様性及び生態系サービスの総合評価(JBO2).16pp.
  5. 環境省(2016)二次的自然を主な生息環境とする淡水魚保全のための提言
  6. 生物多様性条約事務局(2015)地球規模生物多様性概況第4版Global Biodiversity Outlook 4-生物多様性戦略計画 2011-2020 の実施に向けた進捗に関する中間評価.10pp

田んぼと生きもの保全「失われる命の色」

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