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WWFの活動

COP15:コペンハーゲン合意に至るまでの会議の経過

今回の会議の進行は、まずAWGLCAとAWGKPが1週目に行なわれ、その結果報告(ドラフト)をCOPとCMPが2週目の2日目に受け取って採択します。
交渉官レベルで決められなかった内容は、ドラフトの中でカッコつきで選択できるように入っており、2週目の3日目から始まるハイレベル会合(通常は環境大臣レベル)でカッコの中から選択し、最終的にCOPとCMPで、コペンハーゲンの決定として採択されるはずでした。

さらに今回のコペンハーゲンでは、環境大臣レベルでは決められない内容を含むことになるので、最終3日間には、アメリカのオバマ大統領や日本の鳩山首相、中国温家宝首相など世界の首脳陣100人以上が集結して、最後の判断を下すことになっていました。

 

プロセスの不備:一週目の終わりに募ったCOP15議長国に対する不信感

コペンハーゲン会議の総議長はデンマークの気候変動エネルギー相のコニー・ヘデガー氏でしたが、デンマーク首相であるラスムセン氏は、国連の交渉外で、事前に決着点を図っているとうわさされていました。実際に、コペンハーゲン会議の事前会合で、ラスムセン首相は、ラスムセン案を数カ国に示したようで、会議のホスト国からの首相案とあって、WWFも不透明なプロセスに懸念をもちながら、内容を追いかけていました。

内容は、当初から法的拘束力のある議定書をあきらめて「政治合意」を目指したもので、他国から非難を浴びては、少しずつ形を変えてきたようですが、2050年に世界全体で50%削減を目指し、先進国は80%削減など、今までG8などで宣言された内容を繰り返しているだけで、野心的な内容とはなっていなかったようでした。

何より、国連の場で世界190カ国あまりが2年もかかって交渉してきたプロセスを全く無視して、議長国の首相がごく狭い範囲で交渉し合意案を持ってくることは、国連プロセスそのものを軽視していることになります。

結局、イギリスのガーディアン紙が、12月8日に、どこかから手に入れたラスムセン案を暴露してしまい、世界に知られることとなりました。
当然、締約国のほとんどは、交渉プロセスを飛ばして合意案を出す議長国に対して不快感を示し、ラスムセン首相は、翌日になって、「そんな文書は存在しない」と、ラスムセン案そのものの存在を否定する発表をする羽目となりました。

会議1週目にして、議長国が信頼を失ってしまったこの残念な出来事で、コペンハーゲン会議の間中、不信感が尾を引く結果となってしまいました。

  

 

AWGLCAとAWGKPの結果報告がされるまで

ツバルをはじめとする島嶼国と後発開発途上国の必死の交渉

ツバルは会議当初から、「G77+中国」の途上国の一員の結束を破ってでも、より野心的な協定をコペンハーゲンで確保することにかけてきました。第一週目の終わり、AWGLCAとAWGKの結果報告をするためのCOPとCMPの本会議で、途上国側のタブーであった提案を行いました。 

ツバルは小さな島国で、国土の消滅の危機に瀕して、もっとも気候変動の影響を受けている島嶼国の一つです。今までも2度未満をめざすのではなく、1,5度未満をめざすべき、など、最新の科学に基づいた真の温暖化対策を主張してきました。
この集大成となるべきコペンハーゲン会議において、ツバルは、新しい議定書の採択を目指して、それを話し合うべきコンタクト・グループの設置を提案したのです。

これは途上国に新たな義務が課せられる可能性を持つ、新議定書の誕生を強く嫌っている途上国側からでる提案としては、衝撃的な出来事でした。
会議場は水を打ったようにシーンとなって、ツバルの発表が終わった後は、大きな拍手が沸きあがりました。しかし、当然、中国、ブラジル、インドなどの途上国の大国は大反対。本会議場ではめったに見られない途上国対途上国の戦いが繰り広げられました。

ツバルの交渉官は、この国際交渉を京都議定書のときからフォローしている有名な交渉官イアン・フレミング。大国途上国の攻撃にもひるむことなく、堂々と、真に野心的な合意を目指す持論を展開していきました。

続いて行なわれた京都議定書の本会議でも、ツバルは、世界の30%の排出量しかカバーしていない京都議定書を強化するための、改定京都議定書を話し合うコンタクト・グループの設置を主張しました。こちらも当然物議をかもしました。

以上二つのコンタクト・グループの提案は、いずれも大きな反対を受け、会議は進まなくなってしまいました。結局、総議長であるデンマーク気候変動エネルギー相コニー・ヘデガーは、ツバルの提案を話し合うことを先送りし、非公式に話し合うこととして、会議は中断しました。

世界の市民社会は、国益優先の先進国の態度に対し、途上国内の亀裂をも恐れず、野心的な協定の合意を主張するツバルの姿に大いに感銘を受けました。
今回の会議では国際交渉でヒーローとなった国に贈る「本日の宝石賞」を新設しており、栄えある第一回「本日の宝石賞」はツバルに贈られ、ツバルの真のリーダーシップに世界の400NGOは、最大限の賞賛を贈ったのでした。

しかし、ツバルの思惑は新興途上国には受け入れがたく、究極の善意の提案は、むしろ2週目に入って時間がなくなったCOPとCMPの議論をストップさせてしまう事態に発展してしまいました。
ヘデゴー議長に対しあくまでも強くコンタクト・グループの設置を要求し続けたツバルは、議事の進行を妨げるとして非難が集中したようで、2回目に開催されたCOPの場でヘデゴー議長に対し、「ツバルは議事の進行を妨げ、ヘデゴー議長を困らせるために提案を行ったのではない。真に海に沈みゆく祖国を憂えているのであり、祖国を救う合意を持ち帰りたいという一心なのだということを理解してほしい」と涙ながらに訴える場面もありました。

宙に浮いたAWGLCAとAWGKPの結果

ツバルの抗議もあってヘデゴー議長の議事進行が進まない中、突然議長の交代が発表されました。
表向きは首脳陣が参加する会議となるので、議長も環境大臣レベルではなく、一国の首相レベルであるべきということで、ヘデゴー大臣からラスムセン首相に交代しました。

しかし、1週目ですでに締約国に、透明性に疑念を抱かせているラスムセンに対し、議事は進まず本会議も開かれず、結局2週目の2日目には、非公式会合も開かれている気配が止み、いったい今AWGの議論はどうなっているのか、よくわからないままとなってしまいました。

結局AWGLCAのクタヤール議長は、単にAWGLCAを予定通り終わらせてCOPの報告へ上げることを優先し、カッコだらけのドラフトのまま2週目の2日目に結果を採択し、そのままCOPへとあげてしまったのです。
そのような中、各国の環境大臣が到着し、別会場で大臣の演説が延々続き、会議は分断されたまま、首脳級レベルの会合へと突入していきました。

 

ハイレベル会合から首脳陣会合による合意に至るまで

今回の会議はどこで議論が行われているのが、大変見えにくい会議でした。
本来中心になるべく、2年間交渉が続けられていたAWGLCAとAWGKPは、多くのカッコがついたドラフトをあわただしく採択して終わり、大臣たちは別会場で演説しながら、COPとCMPの本会議に参加して発言していました。

そして本当の交渉は、首脳陣が到着してから、大量排出国と主要な国々、それに地域グループの代表からなる20数カ国の首脳だけで、密室の合意案作成交渉として始まりました。

最終日2日前からドラフト案を漏れ聞いていましたが、そのドラフトは、めまぐるしく書き換えられていった模様で、次々と弱められてあとからあとから出てきました。

当初は、法的拘束力のある協定をなるべく早く作るという文言が入っていたり、2050年に世界全体で半減、先進国で80%削減、さらに先進国からの短期の資金援助は各国別に附属書に書き込むなどの案がはいっていましたが、次々と抜け落ちていきました。

密室の中のトップレベルの交渉なので、誰がどのように反対してこのテキストになったのか、表には出てきませんが、噂としてもれ聞こえた内容を記しておきます。

コペンハーゲン合意が本会議場に出てきた後に巻き起こった大反対

なんとか妥協の産物であるコペンハーゲン合意が首脳陣の手によってまとめられ、最終日の18日金曜日、首脳は続々と帰国の途につきました。

そして、コペンハーゲン合意のドラフトは、ラスムセン議長によって、他の160カ国が待つCOPの本会議へと持ち込まれました。

しかし、ここでもデンマークは議事運営の不備を露呈しました。他の160カ国に対し、たった1時間でこのドラフトに目を通して賛成するかどうかを決めろ、と迫ったのです。
時間が無いのでやむをえないところもありましたが、やはり結果は思わしくないものとなりました。案作成にかかわれなかった他の160カ国の一部は、その場で強く抗議し、会議は延長して続けられることになったのです。

こうして、さらに時間の猶予が与えられました。
その後再開されたCOPの本会議において、まずツバルが「これはツバルの存続を脅かす内容である」として、受け入れ拒否を表明しました。

このコペンハーゲン合意の中に2010年かから2012年にすぐに300億ドルの援助が入っていることに対し、ベテラン交渉官イアン・フレミング゙は、「ツバルの未来は売り物ではない」と演説し、会場から感動の拍手を誘っていました。

その後も途上国は次々と拒否を表明しましたが、中でもスーダンは、このコペンハーゲン合意を「ナチスのホロコーストにたとえ、アフリカを大量虐殺するものだ」とまで激しい言葉を使って糾弾し、「いくらなんでもいいすぎだ」といっせいに先進国、途上国双方から反発を浴びました。

スーダンは、この会期中ずっとこのような眉をひそめさせる発言を繰り返しており、主張はともかく、コペンハーゲンでの合意を妨害する明確な意図があるようにまで感じられました。
またベネズエラなどラテンアメリカ諸国の一部も強く反対し、ぎりぎりの妥協の産物であるコペンハーゲン合意ですら採択されず、会議は決裂するのかと、議場は絶望に包まれました。

会議は夜を徹して行われ、交渉官たちが絶望で顔を覆う中、激しい言葉の応酬が繰り広げられました。いらだったイギリスのミリバンド大臣は、「これは少なくとも温暖化交渉を前へ進める合意であり、これに合意すれば、たった今から必要な資金が途上国へ流れるのである。受け入れなければ資金も流れない」と発言し、途上国の賛同を買収するつもりかと、また反発を強められる場面さえありました。

また島嶼国内でも意見が分かれ、グレナダは島嶼国を代表して(グレナダは案作成に加わっていた)、「このコペンハーゲン合意は確かにあまりにも弱いもので、私たちの必死の交渉を考えると忸怩たる思いがある。しかしこれが唯一の今回の交渉の成果なのである。だからどんなにつらくとも受け入れて、ここから前へ進めていこう」と必死で、仲間に訴えました。

その後、話し合いが行なわれた模様で、最終的には、ツバルも「とてもつらいが、決裂よりもこれを受け入れて、前へ進んでいくほうを選ぶ」として、賛同に回ったのです。島嶼国の主張していた1.5度未満に気温上昇を抑える可能性は、コペンハーゲン合意の最後に、レビューのときの考慮として付け加えられることで決着しました。

最終的にコペンハーゲン合意は、各国の主張を少しずつ取り入れて、なんとか採択に持ち込めるかと思われましたが、スーダンやベネズエラが相変わらず強く反対し、ラスムセン首相はとうとう全会一致が必要な採択をあきらめ、賛同する国だけが「留意する」という形での決着を図りました。ラスムセン首相は、二晩を徹しての交渉に最後まで付き合うこともできず、途中から議長は副議長に交代しました。

第2週目に、2年間締約国の根回しを丁寧に行ってきたヘデゴー氏が、突然降板してから全く姿を見せなくなり、また交代したラスムセン首相も最後は顔を見せず、本会議は首脳陣も帰国したあとに、疲れ切った交渉官が詰まった会議場で粛々と行なわれました。

最後の最後に、コペンハーゲン合意は、賛同する国だけが1月31日までに「留意する」リストに名を連ねることになり、コペンハーゲン会議は、会議延長の翌日午後3時になってようやく幕を閉じたのです。

 

バリ行動計画から2年間に渡って続けられてきた交渉の、あまりにも弱い結末に、WWFのスタッフたちもすっかり肩を落としてしまいました。しかし、2010年末のメキシコ会議まで交渉が続けられる今、再び地球が必要とする強い国際協定をめざしての挑戦が続きます。

2009/12/21

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