2008年 中国・四川大地震の救済活動


WWFは2008年5月、中国の四川省で発生した大地震により被災したジャイアントパンダの保護区周辺において、被害の影響調査や、地域の住民への支援活動を展開しました。このプロジェクトを支援するため、日本でも緊急支援を募りました。ご協力いただきました皆さま、ありがとうございました。

大地震の被害

2008年5月12日に発生した四川大地震により、岷山地域にある20カ所のジャイアントパンダ保護区と、その周辺に住む住民の人たちは大きな被害を受けました。

保護区に関する当初の情報では、四川省の唐家河自然保護区の施設と、青川の管理事務所が大きな被害を受け、また、甘粛省・波玉河自然保護区の公共施設は壊滅的な打撃を受けており、水の補給は途絶え、道路も遮断されました。さらに、陝西省の青木川自然保護区と、摩天嶺自然保護区でも、建物が倒壊し、道路や電気も不通の状態が続きました。

近隣住民の生活は、日増しに困難になり、四川省茂県の宝頂溝自然保護区では、農村の家屋の80%が倒壊したため、住民は避難場所での生活を余儀なくされました。道路が遮断されたため、食物の供給が悪くなっており、人々は瓦礫のなかから食物を見つけなければならない状態でした。

WWF中国による緊急対応

WWFはこの時、岷山地域の自然保護区や地域で110のプロジェクトを実施していましたが、今回の地震ではそのうち86のプロジェクトが影響を受け、中止せざるを得なくなりました。

こうした中、成都および西安のWWF事務局は、災害地域の情報を収集するため、関係機関や地域のNGOと共に緊急対策を展開。

四川省の自然保護区に、10の衛星電話を支給したほか、WWF成都事務局は臥龍保護区 に6トンの米を、また、茂県、平武県、青川、北川の自然保護区の住民にテント、日用品を提供しました。
そして、西安の事務局は、テント、ろうそく、発電機、衣料品などを青木川自然保護区に送りました。

また、西安の事務局は、テント、ろうそく、発電機、衣料品などを青木川自然保護区に送りました。

WWFの成都事務局は 被害が甚大だった龍渓虹口の龍池にある学校に職員を送り、復旧のための情報を収集しました。WWF中国や他の自然保護関係者から集められた寄付などの支援金が、この事務局に送られ、必要な品々の購入に充てられました。

WWF中国代表のダーモット・オゴーマンは、中国の犠牲者と家族に心から哀悼の意を表し、救援にあたっている関係者に感謝しています。そして、「WWFは地域住民の復旧努力を、全面的に支援します。状況が落ち着いたら、森林管理機関や自然保護区と協力して、地域共同体、野生のジャイアントパンダとその生息地、自然保護区と生態系保全について、影響調査を行なう予定です」とコメントを発しました。

国境を越えた支援を!保護区および周辺地域への支援を行ないました

今回の地震は、WWFが長年、保全に取り組んできたジャイアントパンダの生息地域にも、多大な被害をもたらしました。

野生のジャイアントパンダは現在、四川省、陝西省、甘粛省の険峻な山岳地帯の森に、およそ1600頭が生息しています。生息地周辺には、数多くの保護区や、その保全のための施設が設けられていましたが、今回の地震でその多くが打撃を受け、現地で活動に取り組むスタッフや住民の方々も被災されました。

このため、WWF中国では地震発生直後、西安と成都の事務局を足がかりに、保護区への影響調査と、付近の住民の方々への緊急支援を開始しました。これは、被害状況を確認するとともに、復興された住民の方々と協力し、現地での保護活動を再開することを目的とした取り組みです。

WWFジャパンも2008年6月12日より、このWWF中国の緊急プロジェクトを支援するため、日本の皆さまに広く寄付を呼びかけを行ないました。

これは、必ずしも広域の被災地を対象とした支援ではありませんが、現地の復興と、貴重な自然環境を保全する一つの手立てとして取り組んだものです。

ご支援をいただいた皆さま、ありがとうございました

2008年、 四川地震が発生した翌月から、WWFジャパンでは「ジャイアントパンダ保護区・緊急支援のお願い」として寄付キャンペーンを展開し、おかげさまで日本全国から多くのご寄付をお寄せいただき、現地へ1,100万円を越える支援金を送ることができました。日本からの寄付金は、他の国々から寄せられた寄付金と併せて、下記の現地レポートで報告されている復興プロジェクトにも活かされました。

ご寄付をくださった皆さまに、この場を借りて厚く御礼申し上げます。(2009年8月21日)

四川省の龍渓虹口自然保護区に隣接する小学校。WWFも再建を支援しています。(C)WWF China

倒壊する民家。青木川自然保護区では、保護区の施設や周辺の集落が被災しました。(C)WWF China

同じく青木川自然保護区にて。WWF中国では支援物資を調達し、現地に届けています。(C)WWF China


中国・四川大地震 復興に向け調査や計画づくりがスタート(2008年8月20日)

中国・四川省を襲った大地震から約3カ月。被災地では復興へ向け、さまざまな取り組みが動き始めました。 WWF中国は今後、野生のジャイアントパンダの生息地周辺で、環境に配慮した復興計画を進める取り組みを強化することにしています。 WWFジャパンではこの活動を支援する緊急支援を募っており、8月にはその一部を現地に送金しました。

臥龍の飼育施設のパンダが各地に避難

2008年5月12日の地震によって大きな被害を受けた、中国四川省の臥龍自然保護区の中にあるジャイアントパンダ保護研究センターからは、54頭のパンダが避難することとなりました。

臥龍自然保護区は、地震によって施設が大きな損害を受けた上、たびたび発生する地滑りや土石流などの二次災害の危険にさらされており、パンダたちの安全を確保することが難しいと判断したためです。

センターには、震災前、63頭のパンダが飼育されていました。うち1頭は地震によって死亡。1頭はセンターから逃げたまま、依然として行方不明です。

残った61頭のうち、1歳の子ども7頭を除く残りのパンダたちは、四川省雅安市にある碧峰峡のパンダ基地や、福州ジャイアントパンダリサーチセンター、広東省の番禺動物園などに移送されました。

しかし、2007年に生まれた7頭の子どもは、長距離の移動は難しいと判断され、臥龍の安全な場所に移されて保護されることとなりました。センターでは、残されているパンダの食物を確保するため、離れた場所からタケを集めてくるなど、困難な取り組みが続けられています。

秦嶺山脈周辺のアセスメントが終了

一方、四川省の隣の陝西省では、陝西省動物学会によって実施されていた震災影響アセスメントが終了しました。
このアセスメントの調査対象となったのは、秦嶺山脈にある19カ所の自然保護区と林業地1カ所です。現在、WWFと陝西省森林局では、調査報告書の検証を行なっています。

アセスメントの結果、秦嶺山脈の自然保護区の施設や日常業務、地域社会のインフラ、小規模な地域共同体の生活に及んだ被害は、WWFがプロジェクトを共同で進めてきた多くの地域社会や保護区への被害と同様、かなり甚大であったことがわかりました。
しかし、ジャイアントパンダの生息地のうち、秦嶺山脈沿いの地域については、自然環境に対する被害は現時点でそれほど大きくないことも示されました。

この結果に基づき、保護区の自然再生と地域社会の復興に関する提案がまとめられつつあります。次のステップでは、環境に配慮した復興計画を実施していく地区が、自然保護区と、地域共同体それぞれから選ばれることになりました。

白水河自然保護区の事務所再建を支援

震源に近かった四川省の岷山山脈沿いの白水河自然保護区では、幸い、犠牲者はいなかったものの、3カ所の保護官事務所が破壊されるという深刻なダメージを被りました。岷山山脈周辺では、この白水河自然保護区のほか、パンダの主要な生息地である龍渓虹口自然保護区、千佛山自然保護区なども大きな被害を受けました。

WWFは、これらの地域への支援として、まず白水河自然保護区の倒壊した保護官事務所のひとつで、移動可能な仮設事務所を建てる支援を実施。また、保護区と隣接する集落に、緊急援助の手をさしのべるとともに、復興計画を作る上でも協力しました。

保護の現場が混乱する中で心配される大きな脅威は、ジャイアントパンダの密猟や、森での違法な伐採です。一日も早くパトロールやモニタリングなどの日常業務を再開できるようにしなくてはなりません。さまざまな活動の拠点となる保護官事務所ができれば、パトロールの拠点が確保できるだけでなく、本格的な影響調査を始めることも可能になります。

被害調査の方法を学ぶ研修会

7月24日と25日の両日、WWFは、四川地震の被災地にある自然保護区のスタッフを対象とした研修会を開催しました。

今後、どのような復興計画が必要かどうかを知るためには、まず、地震による自然保護区への影響を、調査し、明らかにすることが必要です。そこで、この研修会では、自然環境と地域の人々の暮らしの両面から、地震の影響を調べる方法について、情報を共有し、そのノウハウを学びました。

参加したのは、臥龍、王朗、唐家河、片口、千佛山、宝長溝、龍渓虹口、白水河など、12カ所のジャイアントパンダ保護区で保護活動に従事する、計26人のスタッフです。また、地元のNGOのメンバーからも参加がありました。

研修を終えたときには、すべての参加者が、復興計画に対して自分なりのビジョンを描けるようになっており、「どのように復興に取り組んだらいいか、今ひとつ思い描けなかった部分がはっきりした」「時間と資源をムダにしないよう、計画を作り直す必要があると感じた」などの声が聞かれました。WWFでは、新しいアセスメントの方法が、自然保護区を管理する現場のスタッフや、地元のNGOによって導入されていくことを期待しています。

(WWF中国からの報告より)

震災後の臥龍ジャイアントパンダ保護研究センター。施設が大きな被害を受けた。写真奥の斜面にも崩落の跡が見られる。(C)WWF China

餌となるタケを集める作業 (C)WWF China

秦嶺山脈周辺地域の集落に、テントなどの救援物資を輸送する。山間部のため、人が背負って運ばねばならない場所も多い。(C)WWF China

白水河の保護区管理事務所。(C)WWF China

龍渓虹口自然保護区周辺。いずれも大きな被害を受けた。(C)WWF China

研修会の様子。(C)WWF China


中国・四川省より 震災復興の現地レポート(2009年8月21日)

2008年5月12日に中国で発生した四川大地震は、人の暮らしも自然環境も、大きく破壊しました。山間地に散らばる集落と、絶滅のおそれのあるジャイアントパンダが暮らす自然保護区がモザイクのように続くこの地で、さまざまな課題に悩みつつ、懸命に立ち直ろうとする人々の様子をお伝えします。

ようやく始まった保護区の調査

ジャイアントパンダの生息地は、四川省から陝西省にかけて、標高2,500~3,500メートルの山間地に、広く点在しています。普段でも困難をともなう野生のパンダの調査は、震災直後には、とても実施することができませんでした。各地で崩落が起きているほか、震度4以上の余震が半年以上にわたって続き、また、調査のために作られた山道も寸断されてしまったからです。

大地震発生から4カ月ほどが過ぎた9月ごろ、ようやく少しずつ、調査を始めることができました。その結果、特に崩落などの被害が大きい保護区や、パンダの食べ物であるタケ類の枯死・消失が起きている場所などが特定できました。この調査に基づいて、タケ類の植林や、保護区の自然再生などの対策が始まりつつあります。

人の暮らしとパンダの保護

現在、パンダの生息地に設けられている自然保護区は66カ所あります。そのほとんどに小さな集落が隣接していたり、保護区の中に集落があったりします。WWFは、保護区が設立される以前からそこに暮らしてきた人々が、パンダの保護に理解を示し、協力し、また、保護活動に参加してくれるよう取り組んできました。

しかし震災は、これらの人々の暮らしをも襲いました。震災によって交通ルートが寸断され、町から物資が入って来なくなったり、生計が失われたりすると、貧しい山間地では、人々がやむなく保護区に入って木を伐ったり、動植物を採取するおそれが出てきています。

WWFは、特に被害の大きかった地域を中心に、人々が以前のように自然保護区と共存できるよう、暮らしの復興支援をも支援しています。

震災の傷跡が、完全に癒えるまでには、まだまだ長い時間がかかります。WWF中国では、現在も現地での取り組みを続けています。

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四川省 震災復興現地レポート 【1】四川地震後の巡回記

臥龍自然保護区レンジャー 張清宇さんの報告

四川大地震が起きたあと、臥龍自然保護区では、ジャイアントパンダを始めとする野生動物の調査のために、赤外線式自動撮影カメラを設置しています。9月に続き、11月にも赤外線カメラの設置を行なったところ、生息地は破壊されたものの、無事でいる彼らを確認することができました。

震源地に極めて近かったため、臥龍自然保護区の壮観な自然は、かなりの損傷を被りました。広範囲にわたって山々が崩れ、地滑りは多くの植生を消し去りました。私たちは、貴重な生態系の消失と共に、何十年にも亘る懸命な努力の成果が失われたことを痛感しています。

調査に向かう張清宇さん。

余震、強風、そして雪...

凍てつく11月に赤外線カメラを設置することは大変難しく、危険な任務でした。地震があらゆる巡回ルートを破壊してしまったので、経験者でも道に迷ってしまいます。地震から7ヶ月が過ぎたのにも関わらず余震は続き、巡回する際は、不安定な巨石や崖に気を配りながらハラハラしどおしでした。

私たちは身を刺すような風に吹かれながら重い調査装置を抱え、凍り付いた山道を歩きました。激しく降る雪以外、聞こえるのは自分達の荒い息づかいだけ。頬から首筋をつたう汗とも溶けた雪ともつかない滴を拭い、霧にかすむ丘を見上げ、感覚を失った足をひたすら前へ進めました。ようやく設置場所に着くと、休む間もなく、カメラの方向を定め、撮影の邪魔になるものを取り除き、機器類のテストをしなければなりません。

9つのカメラを設置し終えると、もう日暮れです。疲れきった私たちには、堅パンも最高のごちそう。服を乾かしながら火を囲み、お酒を少し飲むと、ようやくジョークも交わされるようになりました。保護区の将来や家族のぬくもりを想うと、零下8℃という気温もほとんど気にはなりませんでした。

パンダは無事だった!

今回私たちは、97台の赤外線制動カメラを三江、西河、中河、 臥龍の老鴉山、梯子、そして魏家に設置しました。また、30調査ルートのデータベースを更新しました。

カメラを収集してみると、三村から老鴉山にかけて設置した9台のカメラのうち、78枚の写真に14種の野生生物が写っており、中には延べ23頭のジャイアントパンダの姿が捕らえられていて、びっくりしました。そのうち2台はパンダがカメラを攻撃する瞬間までを捉えており、彼らの活発で遊び好き、そして好奇心旺盛な様子を伺う事ができました。これらの結果は多いに満足なものでした。

現在は、地理情報システムを通じて、現地で収集されたデータの分析をしています。地震後のジャイアントパンダや周辺の動物を、四季を通じて記録することで、ジャイアントパンダの生活に著しい変化があったかどうかを確認しようとしています。

こうした調査結果は、今後、ジャイアントパンダの保護や生息地の回復に向けての活動を、より確かな科学的根拠に基づいて行なっていくために役立つものとなるでしょう。

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調査用の自動カメラで撮影された野生のジャイアントパンダ。


四川省 震災復興現地レポート 【2】パンダ生息地の自然の回復

四川大学生命科学学院 冉江洪さんの報告 ~商業的森林伐採ではなく、伝統的な植林を

2008年5月12日に四川省■(ブン:さんずいに文)川県で起きた地震は、人々を傷つけ、その財産を奪っただけでなく、生物の多様性にもさまざまなダメージを与えました。
地震の被害を受けた場所は、世界中でも屈指の生物多様性に飛んだ地域であり、WWFが選んだ世界200カ所の重要地域にも含まれています。ユネスコの世界遺産に指定されている場所も4カ所を数えます。
チュンライ山脈のジャイアントパンダ生息地、九寨溝、黄龍、都江堰~青城山です。そして何より、ジャイアントパンダや、キンシコウといった希少な生きものたちの重要な生息地なのです。地震は、パンダの生息地に広範囲にわたって深刻な影響を及ぼしました。

現地を訪れた冉江洪さん(中央)

50%以上の生息地が失われた保護区も

ジャイアントパンダは、数百万年前からこの地に暮らしてきました。進化論の観点からすれば、パンダは自然災害に対する耐性を発達させているはずで、地震も、それほど大規模な個体数の減少にはつながらないと考えるのが普通です。しかし、急激な人口の増加が、パンダから多くの生息地を奪ったため、パンダのふるさとと呼べるのは山岳地域や谷間だけになりました。

その生息地が、各地で地震によってひどく破壊されています。龍渓虹口自然保護区と、白水河自然保護区は、ともにパンダの重要な生息地ですが、50%以上の生息域が失われました。パンダの主な食べ物であるタケ類の自生地が、広範囲にわたって消失したほか、パンダが水を飲んでいた谷川が地滑りによって埋まってしまっています。地滑りは、パンダが日常的に、また季節的に移動するのを妨げるものともなっています。

もし、被災地にパンダが生息可能な地域が残っていたなら、商業的な森林伐採はせず、在来の樹木を植えることによって科学的な再生を図れば、パンダの暮らしが回復する可能性があるでしょう。しかし、パンダにとって、分布を広げる可能性のある新たな生息地はありません。これまで続いてきた人為的な影響が、パンダがこの災害を越えて生き延びることをより難しくし、個体数の増加を妨げているのです。

状況に応じたきめ細かい対応を

パンダの生息地が不足している以上、現在、もっとも優先されるべき保全策は、パンダの生息地の回復を図ることです。私たちは、パンダの食べ物となる動植物の変化や、移動を妨げているものの存在について、詳しい科学的な調査を行ない、生息地の再生計画を立てる必要があります。

地滑りによって、砂や礫に覆われた場所ならば、自然の回復に任せるべきですし、泥で埋まっている場合には、パンダの食べ物となるタケ類や、在来の樹木などを植えるといった再生方法を実施すべきです。大規模な地滑りがパンダの移動を妨げている場合は、パンダや、その他の希少な生き物が行き来できる簡単な小道を造るといった人工的な方法を実施すべきかどうか、検討する必要があるでしょう。

地方政府と、保護区の管理当局は、パンダの生息地の回復を図る際に、外来の樹木を植えたり、商業ベースでの植林が行なわれないよう、注意を払うべきです。もし、パンダの生息地が、人工林や、商業的生産林に置き換わってしまった場合、パンダは、すみかを失うことになるでしょう。結果として、さらに人為的な影響が生息地に及ぶようになり、パンダの生存を脅かすこととなるからです。

中国各地で使用できるガイドラインが必要

現在はまだ、パンダの生息地や、植生の回復状況を包括的に調査をすることは不可能です。重要なのは、地方政府や保護区の管理当局が使用できるような、データ収集や科学的な植生の回復に関する原則やガイドラインを作っておくことです。こうしたガイドラインは、パンダにとって何が重要かという視点を取り入れるのに役立つだけでなく、パンダの保護と、その生息地に隣接する地域共同体の発展を、バランスをもって両立させることの助けにもなるでしょう。

世界中の人々が、パンダの保護に支援の手をさしのべてくれています。私は、パンダが必ずこの危機を乗り越えること、そして彼らの故郷がほどなく再生されることを信じています。

モニタリングのために作られた調査ルート。急斜面の険しい山林を分け入っていく。千佛山自然保護区にて。

パンダの生息地が広がる岷山山脈。その南部では特に被害が大きく、全体の35%が地震の影響を受けたとみられる。

ターキンによる獣道をたどるレンジャーたち。青木川自然保護区。

ターキンは、四川省の山岳地帯に生息する、きわめて希少な偶蹄類の一種。(写真は現地で撮影したものではありません)

WWF中国プログラムオフィサー 陳燦より

龍渓虹口自然保護区は、成都の町からそれほど離れていないため、自然環境が人為的影響を受けやすい場所でもあります。
WWFは、この地域の自然資源の持続可能な利用と開発をめざしています。地震は、ジャイアントパンダの生息地と、隣接する地域共同体に大きな影響を与えました。持続可能な暮らしへの転換は、地域共同体が生計の道と生活様式を取り戻す役にも立つことでしょう。そうすれば、自然資源の利用と消費は減り、人と自然が調和して生きられるようになるはずです。

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四川省 震災復興現地レポート 【3】村に水が戻った

話者:連合村村長 周華剛さん

まとめ:成都イブニングニュース特派員 張欧さん

私たちの村は、都江堰市から40キロほどのところにあります。
三方を山に囲まれていますが、生活基盤も良く整っていました。虹口地区の他の村々が観光産業に投資してきたのと違い、人口200人ほどの私たちの村は、薬草やキウイフルーツの栽培で充分に生計をたてることができたのです。この虹口で、水の供給が問題になるなど、誰一人、想像だにしませんでした。

連合村村長の周華剛さん

水に恵まれた桃源郷

成都にすむ人なら誰でも、虹口を流れゆく船の話を聞いたことがあるでしょう。
ここの飲み水は泉から引いてきています。私は村の入口で民宿を営んでいますが、都会から遊びに来る人たちはよく、ボトルにつめた水を持ってくるので、村はずれの泉に行って、美味しい水を飲んでごらんなさいと言います。試してみた人はみんな、ここの水を家に持って帰るため、持っているボトルを空にするのです。

2008年5月12日、地震が、この村の建物すべてを損壊しました。地滑りが起き、この村は山中に孤立してしまいまったのです。私たちはヘリコプターで救助され、虹口の町へ避難しました。最初はテントに一時的に身を寄せ、そのあとはプレハブの家に移りました。しかし、村の人たちは皆、村へ帰りたがりました。なぜなら、医薬費として使う厚朴という薬草やキウイフルーツが、受粉の時期を迎えていたからです。もし受粉作業ができないと、収穫がゼロになってしまうのです!

村の特産品の薬草とキウイフルーツ。いずれも村の最も大きな収入源だ。

水道も、灌漑施設も失って

結合村から、虹口の町までは10キロほどですが、道の補修ができたのは3キロほどだけです。そのため、村までは片道でも2~3時間かかってしまいます。村で畑仕事をするためには、小屋を建てて、1日か2日、滞在するという方法しかありません。

しかも、仮にそうしたやり方ができたとしても、水の問題がまだ残っています。水道管はすべて破壊されてしまい、村に流れ込んでいる川は泥で濁っています。地震の被災地で、水が硫黄分を含むようになってしまったという例を聞きました。そうなったら飲用水にもなりませんし、農業に使うわけにもいかないのではないでしょうか? 

私たちの村では、硫黄を含んだ水は出ませんでしたが、何人かの村人は、畑から水が2メートルも吹き上がるのを見たそうです。地震による裂け目から吹き出した地下水でしょう。どんなに喉が渇いていても、誰もその水を飲もうとはしませんでした。

農作物を育てられない!?

日にちは忘れてしまいましたが、何人かの若者達が、大きな危険を冒して崖を登り、5キロ先に澄んだ水が流れている水路を見つけてきました。彼らは3~4時間かけて、木のバケツで水をくんで来ました。

一世帯あたり、少なくとも一日に30リットルの水が必要です。それでも、飲み水を除けば、残りは家族全員が共同で使って、ようやくなんとか衛生を保てるくらいの量でしかありません。

この村の収入は、厚朴という薬草とキウイフルーツなので、村人は灌漑用の水のこともたいへん心配していました。もし、晴れた日が数日続いたら、私たちは絶望のため息をつくことになるでしょう。キウイフルーツは、乾燥した土壌に植えられるため、土壌そのものに保水力がなく、水が欠乏すれば実はひからびてしまうのです。

保護区管理局とWWF

連合村は、龍渓虹口自然保護区に隣接しています。自然保護区の管理局と密接な協力関係を築いてきた地域共同体として、私たちは保全活動のお手伝いができることに喜びを感じています。自然保護区の管理局も、私たちの村の発展を援助してくれています。

地震のあと、保護区のスタッフとWWFの職員が、影響評価のために村へやってきました。2008年9月のことです。保護区の部門長である王琳から、WWFの邵文と陳燦を紹介されました。王琳は私に、何に困っているかを聞かせて欲しい、保護区とWWFは、それを解決するために一緒に働く、というのです。

私の心には、道路の問題、電気の問題、そして水の問題が浮かびました。道路については交通局が、電気に関しては電力会社が、問題を解決してくれていたので、水のことが、私たちが一番に望んでいる案件でした。

2つの尾根を越え水源へ

私は水が不足していることを語り、村人達が生計を立てられるかどうかの瀬戸際にあることを説明しました。水がなければ漢方薬やキウイフルーツの栽培はできず、村人たちは山に入って木を伐り、薬草を集める生活に戻らざるをえません。自然資源にも大きな負荷をかけることになるでしょう。

保護区とWWFは、水不足問題を解決することに合意してくれました。WWFが水を引くパイプと、水を貯めるタンクの資金を出資してくれたので、私たちは労働者を募り、水源を探し、必要な経費を計算しました。そして、WWFから17万元の出資を受けるという合意書にサインしたのです。この新しい給水プロジェクトのことを聞いて、思わず泣き出す村人も少なくありませんでした。

山を越えて水を引く作業は2009年2月27日、70人の男達によって開始されました。村には200人しかおらず、しかも住む家の修復作業もしなければなりません。私たちが見つけた水源は、標高1900メートルの大水溝にありました。最も困難だったのは、村と大水溝の間に連なる2つの尾根を越えることでした。

地震が発生してからしばらく経っているにもかかわらず、誰もそこへ踏み込むことができません。やむなく迂回することとなり、導水パイプを2000メートル分、追加せざるをえませんでした。導水パイプに沿って、4つの水タンクが地形に合わせて、なおかつ、灌漑に使いやすいように設置されました。

村に水が戻ってきた!

2009年3月25日、ついにプロジェクトは終了しました。完成を祝って、村人全員が、村から一番近い水タンクの前に集まり、まるでお祭りのようでした。60歳になる陳安沢は「一年ちかくも、満足に顔を洗うこともできなかった。今日は風呂に入れるぞ!私が育てているキウイフルーツもたくさん収穫できる!」と喜んでいました。

私たちは新しいパイプから水が流れ出す瞬間を一緒に見てもらうために、保護区管理局とWWFを招待していました。しかし残念なことに道路規制が行なわれていて、彼らに来てもらうことは叶いませんでした。もしここに来てもらえれば、一緒に喜びを味わうことができたでしょう。ようやく水の供給が復旧しました。今度は、家々の再建作業が私たちを待っています。

WWFの支援のもと、村に水を引く計画が実行に移された。2つの山の尾根を越えて、標高1900mの大水溝から水を引く。数箇所の中継地には貯水タンクを設置した。

山道をつたい、給水管を設置する。非常に困難な作業だったが、村の人たちは見事にやり遂げた。

WWF中国プログラムオフィサー 陳燦より

龍渓虹口自然保護区は、成都の町からそれほど離れていないため、自然環境が人為的影響を受けやすい場所でもあります。
WWFは、この地域の自然資源の持続可能な利用と開発をめざしています。地震は、ジャイアントパンダの生息地と、隣接する地域共同体に大きな影響を与えました。持続可能な暮らしへの転換は、地域共同体が生計の道と生活様式を取り戻す役にも立つことでしょう。そうすれば、自然資源の利用と消費は減り、人と自然が調和して生きられるようになるはずです。

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四川省 震災復興現地レポート 【4】カルフールに胡椒(コショウ)を売る

WWF中国 プログラムコミュニケーションマネージャー 曽銘の報告

茂県に住む人々は、何有信さんが「六月紅胡椒組合」の代表であることは、知らないかもしれません。しかし「カルフールに胡椒を売った男」といえば、知らない人はいないでしょう。
2008年5月12日に地震が起きた後、何有信さんと彼が率いる胡椒組合は、34トンの胡椒をカルフール(フランスのスーパーマーケットチェーン)に売って、およそ300万元を確保するのに成功したからです。

故障組合代表の何有信さん

大粒で香り高い茂県の胡椒

岷山山脈に抱かれた羌族自治県の茂県は、宝頂溝ジャイアントパンダ自然保護区に隣接しています。
個人の平均年収が2000元を下回るこの地域は、国の標準から言えば、貧しい方に分類されますが、茂県の地元産品である「大紅袍胡椒」は、ふつうの胡椒よりも大粒で香りが良く、四川省ではよく知られています。この胡椒は、パンダの生息地周辺で暮らす村人たちの重要な収入源です。

しかし、長い間、胡椒の売買は、300人の仲買人によって独占されていました。彼らは胡椒を安く買いたたき、製品を改ざんすることもあったため、茂県ブランドの胡椒の評判は地に落ちてしまいました。何有信さんの故郷である溝口の町でも、農民たちは、胡椒が低価格で買いたたかれるのを黙って見ているほかありませんでした。一人一人の収穫量は小さく、大きな町から遠く離れた地域では、それ以外に為す術がなかったのです。

WWFの協力で、安定した販路を確保

こうした状況を変えようと、溝口の町では2005年、胡椒組合を立ち上げ、生産者による胡椒の販売を支援していくことにしました。その組合長として、ふるさとの町へ招聘されたのが、当時、茂県の中心部で仕事をしていた何有信さんでした。何さんは、最初の2年間で10万元を投入して、さまざまな食品見本市に組合員を出席させました。しかし、胡椒の売れ行きが10トンを越えることはありませんでした。

同じような状況が続く中、変化が現れたのは2007年です。WWFの紹介で、カルフールが関与するようになったのです。

ジャイアントパンダの保護に長年かかわってきた経験から、WWFは、パンダの生息地周辺に住む人々による影響は無視できないこと、そして、パンダの保護と地域の発展が共に図られるようでなければ、保護活動は成功しないことを学んできました。WWFは、安定した販路を持つカルフールに、地域共同体が生計を立てていけるようサポートしてもらえないかと提案しました。

WWFの仲介により、カルフールは厳密な製品の審査を行ない、そして2007年、"西羌六月紅"の入荷を決定、組合から15トンの胡椒を買い入れました。何有信さんと組合のメンバーは、ついに安定した販売先を見つけたのです。

主力作物である胡椒(コショウ)を天日で干す。

胡椒の加工作業。

胡椒を栽培している村の人々から胡椒を買い付ける。

震災後に茂県の胡椒を購入したカルフールのトラック。同社は被災地を救済するため、支払価格の80%を前払いした。

まるで孤島のように

2008年5月12日、何さんは町の茂県の中心部にあるインターネットカフェで資料の印刷をしていました。大きな揺れを感じた何さんは、友人を引っ張って店の外へ飛び出したところ、自分のトラックが崩れてきた壁の下敷きになるのを見ました。見わたす限り、すべての建物が倒壊していました。茂県の町は、震源からわずか10キロの地点にあります。水、電気、通信、道路、すべてが途絶え、まるで孤島のように、外の世界から切り離されてしまいました。

地震は、何さんの胡椒販売計画をも中止に追い込みました。2日後には上海でカルフールの担当者と会い、さらなる契約について話をする予定もあったのです。

何さんが茂県の中心地を離れ、溝口の町へ向かったのは5月15日のことでした。
5月の半ばを過ぎた頃、何さんは自分の家を、胡椒組合の一次避難所に提供、水とお粥の配給をしました。最初に避難してきたのは、九寨溝から徒歩で来た旅行者です。その後、山間の村の人々、兵士、ボランティアやレスキュー隊などさまざまな人たちがやってきました。「彼らはまさに難民でした。私は何かできることをしなければと思いました」と何さん。

もし今年の胡椒が売れなかったら...

このときWWFは、テント、医薬品、ラジオ、懐中電灯など10万元分の緊急援助物資を茂県に送りました。
何さんと胡椒組合のメンバーは、標高2000メートルを超える危険な道を運転して、これらの物資を村々に届けました。その途上、何さんは、何世代にもわたってこの地で胡椒の栽培をしてきた羌族の農村の家々が倒壊しているのを目撃したのです。
「もしも、この年(2008年)に収穫した胡椒が売れなければ、再建のための資金も得られない」何さんは心配になりました。

収穫がうまくいくには、よい条件と環境が必要です。しかし、地震で胡椒を干す作業場を含む多くの施設が倒壊してしまったすぐ後に、今度は雨期がやってきました。胡椒を天日干しする伝統的な方法が使えない場合も考えられ、収穫物を守るには、乾燥装置を使う必要がありました。何さんは中国貧困救済基金に支援を申し入れ、70万元の助成金を得て、60機の胡椒乾燥機と、10機の発電装置を買い入れました。

カルフールの協力で無事に胡椒を販売

7月、胡椒の収穫期を迎えた村々に、胡椒組合から乾燥機が届けられ、使い方の研修も行なわれました。何さんは、農民から1キロあたり、市場価格より3元高い値段で胡椒を買い付け、カルフールと一緒に貿易フェアを実施。被災地を助けるために、カルフールは契約した値段の80%を前もって支払いました。これは、被災農家にとって、震災後に手にする初めての実質的な収入となりました。

2008年、胡椒組合は中国国内の100店舗以上のカルフールで34トンの胡椒を販売しました。栽培農家の一人、景世花さんは「以前は、一年に6000~7000元くらいしか稼げなかった。今は1万元の収入があるよ」と喜びの声をあげています。

WWF 中国 プログラムマネージャー 李叶より

人々がお金を稼げるように支援することは、直接、お金を援助するより、優れた方法です。
地域共同体で、新しい産業を導入するプロジェクトを実施するときには、持続可能な発展につながることを何より配慮しています。これは、ジャイアントパンダの生息地の周辺にある村々が、自然資源に与える負荷を減らすための唯一の方法です。

胡椒組合の成長は、地域共同体、NGO、企業の3者が共に成功を収めたことを物語っています。
胡椒組合は、震災後に、茂県の胡椒生産者が立ち直るのにも手を貸しました。胡椒組合にとって、次なるステップは、主要な市場関係者としての役割を高め、パンダの生息地周辺にある他の村々を支援できるようになることです。
WWFと胡椒組合の協力関係は、自然保護と生活の発展の調和を実現につながると信じています。

▼この現地レポートのオリジナルはこちら(英文/PDF:1.7MB)


四川省 震災復興現地レポート 【5】山と森を守る人々

青木川自然保護区管理局 繆涛さんの報告

山の民の生活は素朴です。しかし、青木川自然保護区内の集落で暮らす人たちには、更なる負担を背負っています。周囲の自然に手を加えることが、制限されているからです。
そのことについて彼らに問いかけてみると、「何でもないことだ」という答えが返ってきました。キノコの栽培や樹木の伐採ができなくても、出稼ぎ等でお金を稼げる、というのです。「自分たちが山の資源を使い切ってしまったら、子孫はどうやって生きていくのか」と。

青木川自然保護区のスタッフ、繆涛さん

村にのしかかる膨大な再建費用

5月12日に発生した大地震は、そんな彼らの静かな生活を一変させました。80%に及ぶ建物が倒壊し、村の人々の暮らしは文字通り破壊されました。彼らは一体、どうやって生きていけば良いのでしょうか? 膨大な再建費用を、どうやって賄うかという課題に、村人たちは皆、頭を抱えていました。

村人たちが家の再建で悩んでいたとき、私たち青木川自然保護区管理局もまた、村々を支援するための資金をどうやって工面するかに悩んでいました。
そんな時に、WWFから、「保護区で暮らしている地域共同体が、持続可能な形で生計を立てられるようにするパイロット・プロジェクト」を援助したい、と申し出があったのです。導入されるのは、お茶の栽培や、養蜂、メタンガスタンクの設置、そして、エコツーリズムなどでした。

蜂を飼う

さっそく私たちは、新たな生活の手段として養蜂プロジェクトを導入する候補地となった保護区奥地の村を訪れました。村の人たちは、壊れた家の再建に忙殺されていましたが、私たちを暖かく迎えてくれ、プロジェクトについていろいろ尋ねてきました。

何人かの村人は、私たちの計画が、まず何軒かの家を選んでそこに養蜂の技を伝え、次にその家が、年間の収入の中から、他の家を支援していくというやり方であることを聞いて、少しがっかりしたようでした。しかし、ほとんどの人たちは、こうしたやり方に理解を示し、経験を積んだ人や、多くの蜂を飼育できる人を、試験的に養蜂を導入する家に選ぶことを約束してくれました。

8軒か9軒の家を訪ねた時点で、私たちは、青木川の町まで帰るには遅くなりすぎてしまったことに気づき、村に泊まることにしました。
一夜を過ごせる場所を探していたとき、羅剛さんという若い男性が、家に泊まっていけと言ってくれました。

木は、切らない

小川のそばに建つ彼の家に行くと、壁にはたくさんのヒビが入っていましたが、結婚式の飾りが残っており、彼が新婚であることがわかりました。
夕食のあと、羅さんに将来のことを訪ねると、彼はこう答えました。

「僕たちは若くて強い。地震の後に考えたんだけど、山で生活するのは無理だから、引っ越すよう父を説得しているんだ。この村以外の場所での暮らしには慣れないから、と反対されたけど、お金が集まり次第、街に家を建てようと思う。君たちもその時には遊びに来てくれよ! お金が一番の問題だけど、政府はいくらかの援助金を出してくれるだろうし、親戚からも少しお金を借りて、銀行でローンを組めばなんとかなる。そういう選択ができる僕はまだ恵まれている方だよ。何軒かの家は、わずかな蓄えもなくて、ローンを組むことさえできないんだ。食べる物にも事欠くような人たちは、これからどう生活を建て直すんだろう」。

「私たちが力になれることは、何かないですか?」

私がそう尋ねると、羅さんの奥さんがすがるような目で私を見つめ、言いました「いくらか、木を切らせてもらえませんか? 売ったり、使ったりしたいんです」。
すると、羅さんが怒って言いました。
「どうしてそんなことを言うんだ? 皆が木を切り倒すことを望んだら、ここは自然保護区じゃなくなってしまう。保護区のスタッフは、お茶の栽培や養蜂で、僕らの暮らしを助けようとしているんだ。それなのに、なんて身勝手なことを言うんだ」。

山の人々に感謝をこめて

私は彼の親切と、保全への理解に深く感動しました。その夜、羅さんは、家の中にとどまっていては余震があった時に危険だからと、彼らの唯一の避難場所に私たちを泊めてくれました。そこには、厚いマットレスを敷いた、清潔な毛布が掛かる2つのベッドがあり、明らかに新婚の2人のための部屋だとわかりました。

ですが私は眠れませんでした。余震が怖かったからではありません。村の人たちに、気持ちが、強くかき立てられていたからです。彼らは何も要求せず、自らの意思で、森を見守っていました。

私は、そんな彼らに対する尊敬の気持ちを胸に、そして、実際に現場で見なければ知ることが出来なかった、彼らの犠牲や貢献が報われるように、森の天然資源の保護や、村の暮らしの改善のために、これからも一生懸命に働いていきます。

青木川自然保護区の村人たちに、感謝を込めて。

青木川自然保護区とツキノワグマ

被災した村の人たち。苦しい生活が続く。

養蜂の設備を村の人たちに配る。

WWF中国スタッフ 李子君より

秦嶺山脈周辺地域の人々は、環境の保全に対する高い意識を持っています。彼らは実際の活動にも協力し、多大な貢献をしてくれています。WWFが実績をあげてきた活動の一つである、地域の環境教育や普及活動は、その基盤を作る役目を果たしました。

秦嶺山脈にある青木川自然保護区は、5月12日に発生した地震によって、最も深刻な被害を受けた20カ所の保護区のうちのひとつです。WWFの支援のもと、青木川の村人たちは、持続可能な形で生計を立てていける道を積極的に探っています。自分たちの生活を再建するために必要な自信を、取り戻しつつあります。村人たちが、震災によってもたらされた窮乏生活から脱することができれば、森林などの天然資源の乱開発は、きっと防ぐことができるでしょう。

ジャイアントパンダの生息地の保全を強化し、発展させるこれからの取り組みは、決して忘れられることのない、この青木川の村人たちの貢献に支えられているのです。

▼この現地レポートのオリジナルはこちら(英文/PDF:1.7MB)


地震から一年 復興進むパンダの生息地 2009年5月12日

中国の四川を襲った大地震から一年。地域の社会や自然に及んだ壊滅的な打撃は、今も深い傷跡を残しています。しかし一方で、現地の人たちの懸命な活動により、着実な復興も進められています。その取り組みへの支援と、復興活動に自ら取り組んできた、WWF中国からの報告です。

よみがえる自然の力

2008年5月12日、中国の四川省を大きな地震が襲いました。
それから一年。被災した現地の人たちは、地震からの復旧を目指し、疲れを忘れて働き続けてきました。中国国内、そして世界各国の人々からの支援が、その確かな支えとなってくれました。

震災発生直後から、保護区の回復と、その地域で暮らす住民の救済に取り組んできたWWF中国も、環境に配慮した復興を実現し、ジャイアントパンダの生息地を守るための活動を続けています。

災害の影響評価の結果によれば、ジャイアントパンダの生息地は、全体の2.5%が震災によって影響を受けました。しかし、震源に近い岷山山地の南部では、生息地の35%が破壊などの被害に遭ったことが分かっています。

実際、震災の傷跡は、今もまだ各地に残っています。しかし、地すべりがもたらした土砂の間からは、新しい植物が芽吹き始めています。自然のこのすばらしい力は、打撃を受けたパンダの生息地と、周辺地域の地域住民の暮らしを立て直すため、懸命に働く人たちの背中を、強く押してくれました。

「緑の再建計画」

WWF中国では2008年12月、「緑の再建計画」に着手しました。
今後5年にわたり、ジャイアントパンダの生息地で、試験的に植生を再生させ、同時に非常事態が起きた時への対応と、地域住民の持続可能な暮らし作りを支援するものです。

震災の復興が、自然を破壊したり、環境に悪影響を及ぼすものになってはいけません。そのため、保護区内の集落では、エネルギーや飲料水の確保、衛生状態の改善などに加え、エネルギー効率や建材の素材に十分な配慮をした、今後の再建計画を進めています。

さらに、保護に必要な施設の修復も進めています。最も大きな被害を受けた3つの保護区では、大損害を受けた保護センターの再建にも尽力しました。
この「緑の再建計画」が実施されている現場は、WWF中国にとっての、新しいフィールドになろうとしています。

世界の人々への感謝

WWF中国は現在、これらの取り組みを、地域の人々や、森林行政にかかわる行政部門と協力しながら行なっています。そしてスタッフは皆、傷ついた緑と人々の心が、回復できると信じています。
世界中から寄せられた多くの支援は、そのかけがえのない支えとなってくれました。

ご支援をくださった、全ての方々に対し、ここに心からのお礼を申し上げます。

(WWF中国からの報告より)

ジャイアントパンダの生息地を含めた被災地の多くでは、大規模な土砂崩れなどが多発した。

大きな被害を受けた安県の千仏山自然保護区の施設。ここでは地域住民への生活支援のため、養蜂の設備を配布した。

水道用のパイプを運ぶ。ライフラインの復旧は急務だ。

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