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WWFについてWWFの歴史
WWFジャパンの誕生(2):広がる取り組み

WWFの歴史

WWFジャパンの誕生(2):広がる取り組み

多くの方のご支援を得て

WWF ジャパンは、最初期の活動の一つとして、1965年に発見されたばかりの、イリオモテヤマネコの保護・調査支援に取り組みました。1973年からIUCNの一員として行なった調査では、大まかなその生態と生息個体数(58~77頭)をつかみ、これに基づいて1977年、「イリオモテヤマネコの保護施策推進についての要望書」を、環境庁、文化庁、沖縄県庁に提出しました。

また、1979年にスタートし、1980年代に入ってから本格化した「WWF・中国ジャイアントパンダ・プロジェクト」は、WWFジャパンが初めて、国際的な野生生物保護プロジェクトに参加・協力したプロジェクトになりました。

これは当時、推定個体数が1,000頭以下といわれていたパンダを絶滅から救うため、中国政府の依頼を受けたWWFが、ジョージ・B・シャラー博士らの協力の下、数百万ドルを投じて調査・保護に取り組むというものでした。

WWFジャパンは1983年から翌84年にかけて、国内で「パンダを守ろうキャンペーン」を展開。ボーイスカウト協会や、テニス選手のビヨン・ボルグ氏らをはじめ、多くの団体、個人、著名人や関係省庁の協力を得て、募金活動や作文コンクール、記録映画「パンダを救え!」の上映、シンポジウムなどを開催しました。

そして、2年間のキャンペーンの結果、累計1億円近い支援金がWWFジャパンに寄せられ、パンダの生息地である中国に送られることになったのです。

1983年の「パンダを守ろうキャンペーン」
© WWF Japan

拡大する活動

その後、WWFジャパンも、スイスのWWFインターナショナルに合わせ、「世界野生生物基金」から「世界自然保護基金」へと名称を変更。野生動物の保護から、広く環境の保全へと活動を広げてゆくことになりました。

1990年代になると、日本国内のみならず、世界各国にかかわる活動を推進するため、国際条約に関連する取り組みを、より積極的に推進するようになりました。

当時、特に力を入れていたのは、ウェットランド(湿地環境)の保全で、1991年のJAWAN(日本湿地ネットワーク)設立への支援や、1993年に北海道の釧路で開催された、第5回ラムサール条約会議の前後には、全国的なウェットランド保全キャンペーンを展開。

またその後も、九州有明海の諫早湾や、愛知県名古屋市の藤前干潟など、貴重な干潟環境を脅かす開発問題に取り組む一方、これらの問題が、世界的な環境保全の視点からも重要な問題であることを広くアピールし、日本政府に働きかけました。しかしその後も、日本では国内でもっとも豊かな干潟といわれた諫早湾干潟を始め、和白干潟や泡瀬干潟など、かけがえのないウェットランドが、開発によって消滅の危機に瀕しており、世界的にもその多様性と希少性を認められている南西諸島の自然も、年を追うごとに失われつつあります。

これらはいずれも、WWFジャパンにとって長年にわたる、重要な活動の課題となっています。

1997年に閉め切られた九州有明海の諫早湾。日本屈指の干潟の自然が失われてしまった。
© WWF Japan